旧ブログから引っ越して新たなブログを立ち上げたにも関わらず、遂に更新をしなくなって三年くらい経ちました。このようなことになった理由のひとつにSNSがあります。

J-WAVEに触発されてTwitterに手を出した2010年秋頃は、これをやっても長年続けてきたブログは絶対にやめないと、肝に銘じていました。それにも関わらず、一度始めると再現なく手を入れ続ける私にとって文字数や画像数が極端に制限されたTwitterは大変気楽で、結局まんまと自流に流されていってしまったのでした。

一方Facebookは、ブログのように長文も大量の画像も受け付けてくれます。なんといっても「いいね!」が来て、誰が関心を示してくれたのかひと目で分かります。しかしプログラムが重いのか、私が使っているPCのスペックが不十分なのか分かりませんが、よくブラウザごと強制終了します。おまけに書いているとこんなものが出てきたりします。

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肌色の割合が高い画像を大量に投稿しているわけでもないし、排他的な文句を書き立てているわけでもありません。ただ下北半島と津軽半島の旅行記を書いているだけなのに、やたらこれが出る!そして記事の投稿はできません。わけがわからん!
おまけに私はFacebookの記事を非FB利用者からも閲覧できるように設定したつもりでいました。ところがFBアカウントを持たない母が、この長文旅行記に限って閲覧できないと言います。早速確認してみると、確かに見事に旅行記だけがすっぽりと、私のプロフィールページから抜け落ちておりました。だめじゃん。

所詮Facebookはブログの代替などにはなり得ず、私はザッカーバーグが設けた枠の中で、ただただ21世紀を生きた一人間の情報をせっせと絞り出しているに過ぎないのだ…と考え始めたら、なんだか虚しくなってきました。

本ブログは十代中期にお絵かき掲示板をカスタマイズして作った絵日記に始まりました。その後堀江社長逮捕直後になぜか敢えてライブドアブログへ移行し、途中で私の着ぐるみ制作などの趣味が暴走したために、それらの記事を整理するのが億劫になって、改めて立て直したものです。

ブログの良いところは、ウェブサイトほど手間が掛からない割に、開いたページ全てを自分で管理できることでしょう。SNSのように他の人の投稿と並ぶこともないため、自分の考えてきたものの上に、落ち着いて新しく自分の思考を積み重ねることができます。これは日記帳でも同じことがいえますが、日記帳は人に見せるつもりがないぶん、どうも散漫として、ここ数年は始めた頃ほどまとまりがなくなってしまいました。思えばそれもブログをやめ、結局人からつつかれ易いSNSへ移行したころと関係がある気がします。私の場合静かなブログと日記帳は表裏一体で機能していたようです。裏でじっくり眺めながら熟成させたいと思うアイディアが手元になければ、秘密基地を整備しようとも思いませんものね。

因みに私がここ七年間使っている日記帳は文庫判のこれ。
もう一回り大きいものを見つけたので、そちらに移行しようか考え中ですが、
本棚が気持ち悪くなるので多分またこれを買うかな…。

これらの反省は博士論文に取りかかって得られたものでした。
ということで、ものを書き、日々を意識的に過ごすために、やはり再びブログを始めることにします。

しかしやはりせっかく書いた記事をどなたが読んでくれたかはっきりと分かるというのは、大変魅力的です。大学入学以来ずっとご指導くださっていた先生が私のFBの長ったらしい旅行記をお読みくださり、それをもとに「論文だからと強ばって、文体が硬くなってるんじゃない?」とご指導くださったときは、本当にありがたいばかりでした。なんだかんだいってSNSは交流のためには必要不可欠で、長いブランクの間でも近況報告を小出しにしておくのには大変便利ですし、これから会う人にとっての具体的な名刺にもなります。

従って取りあえず、ブログ、日記帳、SNSの立場を以下のように設定して再開します。

SNS=ブログ記事のうち、幅広い人に読んでもらいたいものを投稿。
ブログ= このページへわざわざやってくるような人に読まれたいものを投稿。
日記帳=ブログの裏で熟成させたい考えごとや、ブログの元になるような日常の出来事をこれまで通り記録。 

さてSNSとブログ双方を意識的に使うのは初めてのことになりますので、どうなるかねぇ。
ひとまず、やってみます。 



それにしても暫くいじらないうちに、ライブドアブログ、機能増えたなぁ。 
「拍手」がなくなって、Twitterボタンといいね!ボタンに取って変わっとる。
書き手に戻って改めて感じる、SNS時代のブログへの変化。