画師日鑑

お絵かきを生活の糧としている人の思考拠点。

カテゴリ: 日鑑

 9月8日より、インドネシアはジャワの古都、ジョグジャカルタのルマ・キジャン・ミヅマに滞在させていただいています(Rumah Kijang Mizuma =「ミヅマの鹿の家」、キジャン(鹿)=Kijangは「インドネシアと日本のコラボレーション」を略した当て字)。

 ジョグジャ滞在は今回で二度目です。前回は今年(2018年)の四月から六月中頃にかけて二ヶ月半滞在しましたが、何も知らない土地の話を聞いたり、旅して回ったりするのに手一杯で、結局10メートルのロール紙に思いつくがままドローイングをして終わってしまいました。日本の神話や伝承、慣習の根源がこの土地に今なお鮮やかに息づいていることを知り、もっと深く掘り下げた絵を描きたいと考えたためです。

 ジョグジャカルタは共和国となったインドネシアのなかで唯一王室制度が残された特別州ですが、学生街のほか、アーティストや音楽家が多く集う街としても知られています。前回はアトリエに留まることなく四六時中動き回っていましたが、今回はこの芸術家の街にじっとりと腰を据えて制作し、合間合間に取材を挟んでいきたいと考えています。滞在期間の終わりにあたる来年一月にはシンガポールのミヅマギャラリーにてルマ・キジャン・ミヅマを主題にしたグループ展が予定されていますので、同世代の出展作家であるギラン氏と「何点出す?もうやってる?」などと話をしつつ、大変精が出ます。ああ作家の街っていいなぁ。

 到着翌日、前回置いていった作品の続きを始めました。日本にいる間もインターネットでジョグジャカルタのラジオを聴いていましたが、それに加えて方々のモスクから響いてくるアザーンや物売りの音、ニワトリの鳴き声など、この街にいなければ耳にすることのできない音に囲まれた瞬間、ジョグジャに戻ってきたことをしみじみと実感しました。

さてさて。

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現在博士論文を書いている最中です。これまでブログなぞはすらすらと書けていたため、数ヶ月で思うように書けるだろうと踏んでいたのですが、とんだ誤算でした。自分を買いかぶっていたとしか言いようがありません。少し始めては少し前に書いたものを読み返し、繰り返し繰り返し修正するため、いつになっても進まないのはもちろん、文体までどんどん硬くなっていきます。おまけに低反発枕に沈み込んでいく鉄球よろしくどんどん精神の深みにはまり込んでいくので、まあ黙って死を待つ姿勢よりはマシなのですが、精神的に追い込まれて、自己嫌悪の塊になります。もう他の学生が何故博論を書けるのか分からない。とにかく思考が纏まらず、予定していた目次に沿って全く書けない。出てくるものが願ってもない方向に飛び出していく。それで大体12000字ほど書いたところで、これは目次がおかしいのではないかと思い立ち、全てぶちこわしてまたやり直し。その繰り返しです。しまいには自分がおかしいのではないかと思い始める(確実に性には合っていない)。最近はもう全く書き進まなくなり、集中力も散漫なので、こうして日頃から思考を整理することが必要だったなどと言いながら、何年も放置していたブログに手を出して、また時間を浪費している有様です。

これまで単位が足りなくなって卒業が危ぶまれたなどということはただの一度もありません。しかし最後の最後で、学位を取るためにやらなければならないことができない―これはどうしたものか、本当に困り果てています。

その中で、では文章が全く書けないのかと思いきや、このようにすらすら出てくる。従って、現時点で博論が進まない原因と考えられるものは以下の三つくらい。

1.論文の脳内読者がお高くて怖い人に設定されている。
2.硬い文体を使おうとするあまり、思考が文章として出てくるまでの間に摩擦が生じている。
3.過去の実感に基づいて描こうとしているが、五年前ともなるともはや実感と経験を分離できない。
4.Wordの画面がもうだめだ。

1.と2.はこれからこのブログにもう1週間以上停滞している部分を書くことでどうにか解決するような気がします。しかし3.は現在から五年前までの現実の変化まで扱っている余裕までありませんから、五年前から変わっていない自らの感覚に基づいて全てを書いていくしかありませんね。4.は、だったらここに書けば良いのだ。

ちょっとこの記事を書くうちに、頭の整理がついてきました。
これで何故か突然文章が書けなくなる私と論文の間にある見えない壁が取っ払える…はず!(はず!)
ということで、今手こずっているひと見出しのみ、このブログに書いてみようと思います。
もうこれで上手くいかないと、本当に辛いぞ…。

〈つづく…〉 

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旧ブログから引っ越して新たなブログを立ち上げたにも関わらず、遂に更新をしなくなって三年くらい経ちました。このようなことになった理由のひとつにSNSがあります。

J-WAVEに触発されてTwitterに手を出した2010年秋頃は、これをやっても長年続けてきたブログは絶対にやめないと、肝に銘じていました。それにも関わらず、一度始めると再現なく手を入れ続ける私にとって文字数や画像数が極端に制限されたTwitterは大変気楽で、結局まんまと自流に流されていってしまったのでした。

一方Facebookは、ブログのように長文も大量の画像も受け付けてくれます。なんといっても「いいね!」が来て、誰が関心を示してくれたのかひと目で分かります。しかしプログラムが重いのか、私が使っているPCのスペックが不十分なのか分かりませんが、よくブラウザごと強制終了します。おまけに書いているとこんなものが出てきたりします。

warning

肌色の割合が高い画像を大量に投稿しているわけでもないし、排他的な文句を書き立てているわけでもありません。ただ下北半島と津軽半島の旅行記を書いているだけなのに、やたらこれが出る!そして記事の投稿はできません。わけがわからん!
おまけに私はFacebookの記事を非FB利用者からも閲覧できるように設定したつもりでいました。ところがFBアカウントを持たない母が、この長文旅行記に限って閲覧できないと言います。早速確認してみると、確かに見事に旅行記だけがすっぽりと、私のプロフィールページから抜け落ちておりました。だめじゃん。

所詮Facebookはブログの代替などにはなり得ず、私はザッカーバーグが設けた枠の中で、ただただ21世紀を生きた一人間の情報をせっせと絞り出しているに過ぎないのだ…と考え始めたら、なんだか虚しくなってきました。

本ブログは十代中期にお絵かき掲示板をカスタマイズして作った絵日記に始まりました。その後堀江社長逮捕直後になぜか敢えてライブドアブログへ移行し、途中で私の着ぐるみ制作などの趣味が暴走したために、それらの記事を整理するのが億劫になって、改めて立て直したものです。

ブログの良いところは、ウェブサイトほど手間が掛からない割に、開いたページ全てを自分で管理できることでしょう。SNSのように他の人の投稿と並ぶこともないため、自分の考えてきたものの上に、落ち着いて新しく自分の思考を積み重ねることができます。これは日記帳でも同じことがいえますが、日記帳は人に見せるつもりがないぶん、どうも散漫として、ここ数年は始めた頃ほどまとまりがなくなってしまいました。思えばそれもブログをやめ、結局人からつつかれ易いSNSへ移行したころと関係がある気がします。私の場合静かなブログと日記帳は表裏一体で機能していたようです。裏でじっくり眺めながら熟成させたいと思うアイディアが手元になければ、秘密基地を整備しようとも思いませんものね。

因みに私がここ七年間使っている日記帳は文庫判のこれ。
もう一回り大きいものを見つけたので、そちらに移行しようか考え中ですが、
本棚が気持ち悪くなるので多分またこれを買うかな…。

これらの反省は博士論文に取りかかって得られたものでした。
ということで、ものを書き、日々を意識的に過ごすために、やはり再びブログを始めることにします。

しかしやはりせっかく書いた記事をどなたが読んでくれたかはっきりと分かるというのは、大変魅力的です。大学入学以来ずっとご指導くださっていた先生が私のFBの長ったらしい旅行記をお読みくださり、それをもとに「論文だからと強ばって、文体が硬くなってるんじゃない?」とご指導くださったときは、本当にありがたいばかりでした。なんだかんだいってSNSは交流のためには必要不可欠で、長いブランクの間でも近況報告を小出しにしておくのには大変便利ですし、これから会う人にとっての具体的な名刺にもなります。

従って取りあえず、ブログ、日記帳、SNSの立場を以下のように設定して再開します。

SNS=ブログ記事のうち、幅広い人に読んでもらいたいものを投稿。
ブログ= このページへわざわざやってくるような人に読まれたいものを投稿。
日記帳=ブログの裏で熟成させたい考えごとや、ブログの元になるような日常の出来事をこれまで通り記録。 

さてSNSとブログ双方を意識的に使うのは初めてのことになりますので、どうなるかねぇ。
ひとまず、やってみます。 



それにしても暫くいじらないうちに、ライブドアブログ、機能増えたなぁ。 
「拍手」がなくなって、Twitterボタンといいね!ボタンに取って変わっとる。
書き手に戻って改めて感じる、SNS時代のブログへの変化。 

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