画師日鑑

お絵かきを生活の糧としている人の思考拠点。

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ジョグジャカルタは、町のどこにいても、ラジオを聞いていてもアザーン(Adhan、礼拝を促す呼び掛け)が流れてくる、ムスリムの街だ。ここ10年ほどの間にファッションとして浸透したものとは聞くが、町ゆく女性たちの多くは、さまざまな色やデザインのヒジャブを被っている。男性も、チェック柄のサルン(Sarung、袋状に縫った腰布)を巻き、黒い帽子を被ってモスクへ向かう姿をよく見掛ける。実際私が滞在しているRumah Kijang Mizumaの管理人クリイプ氏も、昔ワルだった分いま大変敬虔なムスリムで、毎週金曜日にはこのおきまりの装束をぴしっと決めて、じゃあね、とモスクへ歩いていく。

しかしそのジョグジャカルタも、かつては仏教やヒンドゥー教を信奉する王朝が栄えた土地だった。それを示すように、ジョグジャカルタ周辺には、数多くの寺院遺跡が遺されている。

これらの遺跡は、もはや寺院としての機能を有してはいないが、先人の遺産として人々からとても大切にされている。ヒジャブ姿の女性たちが異教の遺跡を楽しそうに見て回ったり、観光客に解説しながら歩いている様子は、「多様性のなかの統一」なるインドネシアの国是を目の当たりにしているようで、大好きだ。

その遺跡群のひとつ、世界最大級の仏教寺院遺跡として知られるチャンディ・ボロブドゥールでは、毎年5月の満月の日に、世界中の仏教徒が集い祈るワイサックという祭りが開かれる。今日ボロブドゥールが寺院として使われていないこと、インドネシア国民の0.72%が仏教徒(外務省、2013年)という数字からも窺えるように、ボロブドゥールのワイサックは伝統的な祭りではなく、割と最近始められたイベントであるらしい。深夜にはランタンを飛ばすというが、おそらくインドネシアで古くから行われてきた慣習ではないだろう。観光客向けだったらどうしたものか…とも思ったが、ちょうどワイサックに行ける日程でジョグジャカルタに滞在しているのだから、行かないほうがもったいない。

ということでワイサック当日の5月29日の朝、Go-Jekでジョグジャカルタ市街からボロブドゥールに向かった。

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MTR北角駅で下車し、予約した安宿を探しながら街を彷徨うあいだ、狭い通りにぴったりとはまって移動する小さくて背の高い乗り物にすっかり惚れ込んでしまいました。香港電車、英語ではTrainと呼ばれているチンチン電車、トラムです。外装は各々さまざまな全面広告で彩られており、なかには来週出展するアートバーゼル香港の全面広告を施されたものもありました。盛り上がる!

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多くの場合通りの中央をゆったりと移動しているトラムですが、終点北角では八百屋や肉屋、魚屋、屋台の衣料品屋やおもちゃ屋が並ぶ狭い市場を抜け、さらに狭いトラム専用の道ににゅるにゅると入っていきます。ここで行き先表示をハンドルでぐるぐると繰って変えたあと(表示がLEDの車両もありますが)、間髪入れず大通りに出、来た道を引き返していきます。トラム好きにはたまらない場所かもしれません。

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ようやく宿を見つけてチェックインしたころには、まだ午前中だというのに宿探しと前日の南丫島歩きですっかりくたびれていました。そこに香港人の知人から「終点のKennedy Townまでトラムに乗るといいよ、3.2ドルで香港のほとんど全てを見ることができるよ」との連絡。ありがたくその助言に従って、この日は西行きのトラムに乗ってから東向きに街歩きをしました。

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以来、離島からセントラルの埠頭へ戻るとは北角までMTRではなくトラムに乗るのがクセになりました。頻繁に停まり、ゆっくりと走るためか、どこか市民もトラムをナメているようで、おっさんが前をゆっくりと歩いたり、自転車がトラム専用道を走ったりします。トラムも激しく鐘を鳴らしたり、加速して追いつこうとするのですが、結局停車場が来てしまい、追いつくことはありません。同時に移民の家政婦さんからスーツの人、街の若者まで、香港のあらゆる層の足として親しまれており、非常に愛らしい乗り物です。

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市民の足だが、故障して道路上に立ち往生することもあるらしい。後からぞくぞく続くトラムが10台ほど数珠つなぎになり、前に進めなくなった車やタクシーがクラクションを鳴らしまくります。前後続のトラムの乗客と目が合うので、笑いながら待つばかり。多くの乗客は降りてしまいましたが、数十分したら動き始めました。ちょうど湾仔のあたりでした。

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↑故障したトラムから降りる人々を後続のトラムから撮る。

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こんなトラブルもやはり愛らしく、滞在中にすっかり香港トラム好きが高じて、帰国する日には湾仔のおもちゃ街でTiny製のトラムのミニカーを買って帰ったほどです。

以下、香港トラムが走る風景と、走る香港トラムからの風景です。

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南丫島歩きの最後に訪ねた南丫漁民文化村は索罟湾上に浮かんでおり、香港の漁民の文化や歴史について地元の青年と話しながら学べる民俗資料館のような場所でした。水上生活者が使っていた船や儀礼をはじめとする人間の生活だけでなく、飼われている食用魚や巨大魚相手の釣り体験を通して、魚や魚の力についても知ることができるよい施設でした。掲示されていた施設認可証のようなものによると、300人乗ると沈むらしい。

それにしてもこの南丫島漁民文化村へ到達するのに一時間も彷徨うはめになるとは!文化村行きの船が発着するという埠頭に行ってもそのような気配は一切ありません。島の人はみな笑顔で「あっちだよ」と教えてくれますし、あるおじさんなどはなぜか子供用の自転車に乗って途中まで同行してさえくださったのですが、その方向へ行ってもレストランと土産物屋ばかり。レストランの客引きのおじさんと「まだお腹減ってないんだ~」などと苦笑いしながらすれ違うこと数回、ようやくある客引きのおばさんに「そこの土産物屋が文化村のチケット売り場だよ」と教えてもらって、チケットを購入することが出来ました。何度となく前を通り、店の中まで覗いた土産物屋でしたが、確かに看板を見ると「南丫島漁民文化村」とあります。なんのRPGだ!!

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チケットを買ったときに見せられた写真の船が埠頭へやって来ました。
土産物屋の人が電話をすると、船上にいるおじさんが埠頭へやって来るらしい。オンデマンド。
それにしても水、透明です。

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これが目的地の漁民文化村ですが、ほかのいけす同様ごちゃごちゃしていて分かりづらい!

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いろいろな資料が展示してあります。これはドラゴンボート。季節が来たら使うのかな。

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奥へ進むと好青年がやってきて、「釣りカード持ってるよね?」と聞かれます。
カードを渡すと冷凍した魚を手際よく縄で縛った釣り竿を渡してくれました。太公望か。
「なにかこれは伝統的な漁法なの?」と聞いたら、「いや全然。ただ面白いからやるんです。」とのこと。なんじゃそりゃと思いながらいけすの大魚をしばらくちゃかして遊びましたが、エサを持って行かれて納得。魚を傷つけず魚の力を知るのに、これほどよいゲームはありません!
ほかに有料で、針を使った釣りも出来るようでした。

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 カブトガニ、Horse Shoe Crab。中国語でも馬蹄蟹だそうです。
 
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結構重かった。

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きれいでとても大きな魚だった。これも食べられるそうです。高いそうな。

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うなぎ捕り器!
 
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写真資料も充実していますが、文化村自体が海上に浮いているためゆらゆらと揺れており、あまり熱中しすぎると酔います。

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水上生活者が40年前まで使っていたという船。中の竈や寝室、神棚も見ることが出来ます。
これだけでも大興奮だったのですが、まさかこの数日後、長洲島で現役の同型船を何隻も見ることになろうとは…。

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じっくり二時間ばかりも漁民村を楽しんだあと、セントラルへのフェリーがやってくるのが見えたので、ふたたびオンデマンドおじさんの船で島へ戻り、香港島へ帰りました。

香港滞在中、古い香港の暮らしを見たいとの思いから香港の離島を巡りました。そのなかで最初に渡った南丫島(Lamma Island)は人口6000人の島ですが、中環からフェリーで30分足らずという便利さから、街の人混みを嫌う人が多く住む島でもあるようです。島内にはランニングする人や島民が行き交う小道があり、海や火力発電所を眺めながらほどよい高低差が楽しめました。ただ、特に島中央部は乾燥した低木が多いため、のちに訪ねる長洲島のほうが複雑で面白かったように感じました。

索罟湾沿いの浜に唐突に現れた「かみかぜ洞」は、日本軍が自爆攻撃を行う高速艇を隠すために掘った洞穴とのことです。日本軍が沖を行く連合軍の艦隊を待ち受けていた湾には、いま無数のいけすが浮かんでいます。小屋や小舟、ときに植木を備えたいけすの塊は生活そのもので、その背後に連なる光景や人間関係について想像がかき立てられました。他方、現在それらのいけすや漁船の背景にかすみながら並ぶ愉景湾あたりの高層ビルも、都市と地方のギャップをひとつの風景のうちに突きつけてきて、強烈なものでした。

最後に訪ねた索罟湾上に浮かぶ南丫漁民文化村は、香港の漁民の文化や歴史について地元の青年と話しながら学べる民俗資料館のような場所でした。水上生活者が使っていた船や儀礼をはじめとする人間の生活だけでなく、飼われている食用魚や巨大魚相手の釣り体験を通して、魚や魚の力についても知ることができるよい施設でした。掲示されていた施設認可証のようなものによると、300人乗ると沈むらしい。

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離島歩きに欠かせない中環の諸埠頭。通い詰めるうちに駅のプラットフォーム間隔で使うようになりました。

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気軽に乗れる香港の船は本当に楽しい。海から香港島を眺めると、香港が海上の山にびっしりと植え付けられたビル群であることが実感できますし、それをバックに行き交う新旧大小さまざまな船の数々にも飽きることがありません。

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これはマカオ行きの水中翼船。完全に浮いとる。乗り心地は新幹線相当。

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こちらは香港島の西湾河と九龍半島の觀塘を繋いでいるらしい。なぜ中環付近にいるのか謎ですが、MTRよりも速そう。浮き輪が欠損してるのが怖いけど。

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南丫島の柑樹湾に到着。香港中心部とは打って変わり、ちゃぷちゃぷという波の音と小舟が小さな港に並ぶ光景にはゆったりとした時間が流れていました。

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ほかの多くの離島同様、南丫島は自動車の乗り入れが禁止されているため、人間は徒歩や自転車、小型の作業用車両で移動します。

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バババババ。これが頻繁にピストン走行していました。道を空けて運転手さんとあいさつ。

  • 文記餐廊 Mon Kee Restaurant
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島歩きの前に腹ごしらえ。港に続く小さな街を歩き、地元の人が自宅のようなゆるさで朝食を食べている店に入りました。ゆるすぎて誰がお客で誰が食事中の店の人なのか、伝票なしではわかりません(手前の洗濯ばさみで挟んである紙が伝票)

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メニューの漢字を睨んで具と麺を適当に組み合わせて注文したところ、香港ミルクティーに続いて、ハムが乗った米粉が来ました。優しいおかみさんがミルクティーに砂糖壺を寄せながら「砂糖!入れてね!」と仰るので、地元の人の真似をして多めに入れたら大変美味しかったです。ただ紅茶が相当濃く煮出してあるらしく、ミルクティーにもかかわらず抜群の利尿作用でした。米粉のスープも日本では味わえないようなまろやかさで、全部飲んだらおかみさんが驚いて笑っていました。

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香港中にある漁業者の神にして海の女王、天后(ティエンハウ)の古廟。さしずめ日本のこんぴらさん。

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南丫島には村ごとに解説板があり、これを読みながら歩くのも一興です。「香港に四つしかない"三山國王 / Sam Shan Kwok Wong"(三山の皇帝)を祀る寺」に大変興味をそそられたのですが、看板の地図に記載がなく、私の質問の仕方が悪かったとみえて島の人に聞いても所在が分かりませんでした。自力で探せるかもしれないとも思いましたが、斜面に沿ってどこまでも続く家々を見上げるなり、そんな気は一瞬で失せました。

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香港の村や郊外を歩くあいだ、このような社壇をいくつも見掛けました。初めて見た社壇にただの石が祀られているのを見たとき、思わず嬉しくなって「ただの石だ…!」と声に出してしまいました。

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新しいアパートの合間に、多くの場合廃屋になった古い家がぽつりぽつりと残っています。

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気温が高いためか香港の小鳥は脚が長い。

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 育てられているのか野生化しているのかよくわからないバナナがたくさん生えています。

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庭木はパパイヤ。

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島中に犬のトイレが整備されていました。

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飼い主の方が元気が良いため、ランニングについていくのが大変そうな犬。

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 ビーチに出ました。背後に見えているのは火力発電所。大きく太い三本の煙突はどこから見ても圧巻でした。香港の原子力発電所は深圳との境目の深圳側にあり、電力は中国本土と香港双方に供給されているそうです。東京都の半分ほどの面積しかない大都市香港のすぐそばに原発があることに驚きました。爆発や大事故があった場合、あれだけの人間の行き場をどこに求めるつもりなのだろう。

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中央部がくびれた南丫島の南北を繋ぐトレイルを歩きます。

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島のくびれの部分は山腹にお墓がたくさんあるだけで村はなかったように記憶していますが、養蜂場がありました。

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山火事を消す道具と理解しましたが、かえってこれで火を大きくすることはないのだろうか…。使用後元に戻してね、というのもなんだか暢気な気がして面白いです。

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ランニングする人もいれば生活道として歩く人もいるトレイル。

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湾のレストラン街を背後に、いけすの筏がたくさん見下ろせました。

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水上生活時代から用いられてきた丸い屋根を持つ船も散見されます。筏に住んでいる人もいるのかも。

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野良犬というよりはたぶん地域犬。 

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村を抜けながら湾へ下っていきます。

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 すっかり降りてきました。

  • かみかぜ洞
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 湾に沿って歩いていたら、突然洞窟が口を開けていました。

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かみかぜ洞
索罟湾には海沿いには、幅十メートル、深さ数十メートルの洞窟がいくつか点在しており、地元民にかみかぜ洞と呼ばれている。Lo So Shingは第二次世界大戦中に日本軍が軍港として占領し、数千の兵士が配備されたと伝えられている。日本軍はこれらの洞窟に高速艇を隠し、同盟軍の戦艦が通りかかったときに出撃して自殺攻撃を仕掛ける計画を立てていたが、作戦が実行されるまえに終戦を迎えた。

よかったよかった。
一方で、占領した日本軍とまだ少なかったであろう当時の島民との関係が気になるところです。

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洞の突き当たりには、二箇所ほど削岩機を突き立てた跡が残っていました。

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かみかぜ洞がいま臨む索罟湾の風景は、生活そのものです。

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洞を出て浜沿いに歩くと、埋もれたかみかぜ洞と思しきものがいくつか散見されました。

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大きな天后廟。毎年初夏にお祭りがあるそうです。
ここを抜けると索罟湾の海鮮レストラン街。

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香港で悪犬に吠えたてられた記憶がありません。内に有るからか。

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ダラ犬外有。

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 香港の犬は日本の犬よりも躾が良い気がします。
この子は地域犬なのか気儘に歩き回っては寝ていた。

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漁業従事者の暮らしの背景に都市の生活がかすんで見えました。
香港の景色は都市と地方、新と古を容赦なくぶつけてきます。


  • 南丫島漁民文化村
このあと索罟湾に浮かぶ南丫島漁民文化村へ到達するのに一時間も掛かるとは思いもよりませんでした。文化村行きの船が発着するという埠頭に行ってもそのような気配は一切ありません。島の人はみな笑顔で「あっちだよ」と教えてくれますし、あるおじさんなどはなぜか子供用の自転車に乗って途中まで同行してさえくださったのですが、その方向へ行ってもレストランと土産物屋ばかり。レストランの客引きのおじさんと「まだお腹減ってないんだ~」などと苦笑いしながらすれ違うこと数回、ようやくある客引きのおばさんに「そこの土産物屋が文化村のチケット売り場だよ」と教えてもらって、チケットを購入することが出来ました。何度となく前を通り、店の中まで覗いた土産物屋でしたが、確かに看板を見ると「南丫島漁民文化村」とあります。なんのRPGだ!!

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チケットを買ったときに見せられた写真の船が埠頭へやって来ました。
土産物屋の人が電話をすると、船上にいるおじさんが埠頭へやって来るらしい。オンデマンド。

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これが目的地の漁民文化村ですが、ほかのいけす同様ごちゃごちゃしていて分かりづらい!

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いろいろな資料が展示してあります。これはドラゴンボート。季節が来たら使うのかな。

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奥へ進むと好青年がやってきて、「釣りカード持ってるよね?」と聞かれます。
カードを渡すと冷凍した魚を手際よく縄で縛った釣り竿を渡してくれました。太公望か。
「なにかこれは伝統的な漁法なの?」と聞いたら、「いや全然。ただ面白いからやるんです。」とのこと。なんじゃそりゃと思いながらいけすの大魚をしばらくちゃかして遊びましたが、エサを持って行かれて納得。魚を傷つけず魚の力を知るのに、これほどよいゲームはありません!
ほかに有料で、針を使った釣りも出来るようでした。

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 カブトガニ、Horse Shoe Crab。中国語でも馬蹄蟹だそうです。
 
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結構重かった。

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きれいでとても大きな魚だった。これも食べられるそうです。高いそうな。

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うなぎ捕り器!
 
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写真資料も充実していますが、文化村自体が海上に浮いているためゆらゆらと揺れており、あまり熱中しすぎると酔います。

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水上生活者が40年前まで使っていたという船。中の竈や寝室、神棚も見ることが出来ます。
これだけでも大興奮だったのですが、まさかこの数日後、長洲島で現役の同型船を何隻も見ることになろうとは…。

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じっくり二時間ばかりも漁民村を楽しんだあと、セントラルへのフェリーがやってくるのが見えたので、ふたたびオンデマンドおじさんの船で島へ戻り、香港島へ帰りました。

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それにしても香港、津波や高潮がきたときの対処法とかあるのかなぁ。

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一日中犬の多い南丫島への旅でした。

香港のランタオ島に静かに佇むトラピスト修道院、熙篤會神樂院(Our Lady of Joy Abbey)へ行きました。結果凡ミスも犯しましたが、亜熱帯の鳥の声を聞きながら雑木林に囲まれた村々を縫って歩く、よい散歩の時間を持つことができました。

私とキリスト教とのかかわりは妙なものなので、なぜ香港へ来てそんなところへ行きたがったのかと聞かても若干困ってしまうのですが、山の中の宗教施設で静かな時間が過ごしたかったこと、私が通っていたミッション校が「沈黙の礼拝」という無言の礼拝を行うクエーカーの学校であったこと、『地球の歩き方』に掲載されているアクセスの悪さに魅力を覚えたことなどが大体の理由です。

この神楽院は沈黙を守るシステリアンやトラピストのカトリックの修道士が暮らす修道院で、迫害を逃れて河北からやってきた人々が1950年代に建てはじめたといいます。島や半島は概して海に浮かぶ山のようなものですが、そのランタオ島の山の上の修道院の建築資材は4km離れた梅窩から修道士によって徒歩で運ばれたそうです。石材だったら結構大変かもしれない。

修道院はその活動資金を得るために、かつて敷地内の牧場で十字牌牛乳(Trappist Milk)を生産していました。大変評判のよい牛乳だったようですが、修道士の高齢化に伴って酪農が持続できなくなったため、現在は個人資本の牧場がその商標を引き継いでいるそうです。購入することはありませんでしたが、この十字牌牛乳は旅の間も香港中のスーパーで見つけることが出来ました。いま修道院で生産されているものとしては、トラピストクッキーが知られているそうです。これを求めて修道院を訪れる人も少なくないようで、庭の手入れをしていた修道士さんに伺ったところ、とても穏やかな声で「今日の分はもう売り切れたと思うなぁ…」とのお答えでした。機会があったらいつかまた。ちなみにLantau Onlineによれば、53haある修道院の土地は1ha200ドルで香港政府から貸し付けられており、修道院は1951年以来ずっと変わらぬその金額を納めているのだとか。

この修道院にはゲストハウスがあり、宿泊者は礼拝に参加しなければならないといいます。さながら宿坊のようなこのゲストハウスに関心を持ち、神楽院のホームページを通じて宿泊予約をしたところ、希望の日が全て満室とのメールが返ってきました。一度メールを送ると返信に5日掛かるのですが、幾度かやりとりをする間、ついに修道院と音信不通になってしまいました。香港渡航前に友人の夫君の親切な香港人の友人に電話を数回入れてもらいましたが、誰も出ないとのこと。今回は縁がなかったのでしょう。訪問だけすることになりました。

さてアクセスの面倒な神楽院へ行くにはいくつかのルートがあるそうですが、私は香港島から坪洲島を経由し、ランタオ島にある神楽院専用の埠頭から徒歩で向かう方法を取りました。『地球の歩き方』に記載された「所要約1時間。埠頭の右側の道を、林や畑などを抜けつつ、ひたすら進むとたどり着く」ルートよりは楽そうだったからです。

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香港島中環(Central)の坪洲島行きフェリー乗り場、6号埠頭。

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坪洲島に到着。

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坪洲島も味わいのある小さな島です。
神楽院を経由するランタオ島愉景湾行きの船が来るまでの間に小さな商店街で靴下を買って履きました。だって宿の湿度が高い上に狭い相部屋で洗濯ができなかったんだもん。3足セット。3日分の靴下。えらい助かる。

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そうこうするうちにやってきたこの小さな船に乗ります。
日に2便ほどしかない、神楽院の埠頭を経由する船。
生魚をビニール袋に入れてぶら下げたおばあちゃんなどから、香港の船が日常の交通手段であることが窺えます。

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どこで降りても一律料金なので、乗ってほどなくすると集金さんが来ます。

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ところがフェリーのようにアナウンスがないこともあり、ほっとしているうちに神楽院埠頭で下船し損ねた!!!魚を提げてたおばあちゃんがいない。修道院への差し入れだったのか。

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慌てて舳先に出てみるも時既に遅し。既に舳先近くに座っていた英語の通じない乗客のおじさんとニコニコし合いながら愉景湾に到着。「所要約1時間。埠頭の右側の道を、林や畑などを抜けつつ、ひたすら進むとたどり着く(『地球の歩き方』)」ルート確定。あははは。


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ひたすら進まなければならない「埠頭の右側の道」は確かに埠頭の右側にありますが、なぜかフェンスの切れ目から延びています。立ち入り禁止区域かと思った。

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トレッキングルートでもありますが、どちらかというと生活道の色のほうが濃い道です。集合住宅のような村の郵便受けがありました。

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海を左手に望みながら、小さな段々畑の間を縫う。バナナが風に揺れる穏やかな景色。

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看板を読むに、この畑は分譲家庭菜園や、有機農園のようです。
チベット仏教の旗が揺れていますが、チベットの人がやってるのかなぁ。

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この小さな社壇の背後の饅頭はお墓ではないのか…。

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人の家の前庭を抜けたりして道なりに30分ほど歩いて分岐を折れたところ、突如林の木に打ち付けられた十字架が現れました。突然5番目の十字架ですが、どうやら下船し損ねた埠頭から続いているようです。

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神楽院の埠頭からずっとこんなかんじの幅広い道を歩くのだったら、図らずも辿ってきたこれまでのルートの方が楽しいかもしれません。

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沿道にはさほど間を置かず「転倒する」「衣を剥がれる」「打ち付けられる」などと書かれた十字架が現れ続けます。どうやらキリストと一緒にゴルゴタの丘を登って、磔にされているらしい。

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背後に海を一望する10番目「懸架」の十字架を過ぎると、手入れされた質素な庭と控えめな建物が現れました。

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神楽院に到着です。なんだ、埠頭から歩き始めて40分くらいだったじゃないか。東京あたりでは温室で育てられている植物を自然の姿で眺めつつ、耳慣れない美しい鳥の声を聞きながらの、楽しい散歩です。

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恐らくはこれが私が泊まりたかったゲストハウス。
高校のころ布教の経過で日本化されたキリスト教について調べていたため、入口の両脇に香港の民間信仰をキリスト教流にアレンジした朱色の紙が貼ってあるのがとても気に入りました。

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記帳の上の、これもそうね。

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白い修道服の修道士さんがビニール手袋をして作業にあたっていました。

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ちなみに修道士さんの作業所の左手の道を進むと、ここの建築資材が運ばれてきたふもとの梅窩に至ります。この日もハイキングの人が何人も登ってきました。

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「復活」と書かれた最後の十字架から続く橋で、谷の小川を渡ります。

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礼拝堂。

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鳥の声が響くほかは静まりかえって誰もいません。

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アルファとオメガを漢字で。訪ねたのは2017年3月ですが、この修道会の特別な年にあたる2016年を記念したロウソクがそのまま立てられているようです。

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神楽院の埠頭で下船し損ねなければ午前経に間に合ったかもしれないし、無理だったような気もする。船の時刻が礼拝の時刻に合わせてあると考えるのが妥当なようにも思いますが。

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結局次の礼拝まで一時間以上あったので、ひとりで沈黙の礼拝を持って礼拝堂を後にしました。

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来た道を引き返します。同じ道ということもあって気分が軽いためか、いろいろなものに気付きます。
あれ、石積み?

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鳥の巣だね。

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海を見下ろしながら民家の間の生活道を下っていきます。

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途中随分廃墟や生活の遺構があり、古い暮らしの消滅と過疎を感じさせます。

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花やしきのジェットコースターよろしく民家のなかを通る道。道が民家のなかを通っているのか、民家が道を呑み込んだのか…後者かな…。

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犬が一匹入りそうな大きさの檻ですが、一体なんの罠だろう?

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愉景湾が近づいてきた。

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この仲間は日本の山でも見たことがある気がする。

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ツタに覆われたお墓。ほかに段々畑の石垣の遺構などもありました。
そう遠くないであろうかつての風景を想像しながら歩く。

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愉景湾の埠頭に戻ってきました。来た道を一望することが出来ます。
廃屋の背後の山の上には新しい集合住宅が建てられていました。すごい絵だ。

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坪洲島へ戻る船。わいわい。

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坪洲島へ戻る間、小さいながらも堂々と佇む神楽院の礼拝堂をずっと見ることが出来ました。
神楽院は坪洲島から見えるほど近いところにあるのですね。
思わぬ失敗によって、より充実した散歩をすることができました。

下総国総鎮守の葛飾八幡宮三十三周年式年大祭で、33年に一度行われる大規模な神輿渡御を見たあと(次は2050年)、葛飾八幡宮神楽を見てきました。

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ベッドタウンとして変容した街の交差点を通行止めにして神輿や馬を通す光景には、小気味よさを覚えます。しかし同時に半被姿の氏子衆にくっついて歩くしかない自分を含めた新住民には、故郷を捨てた、或いは生来故郷を持たない都市の人間の姿を見ざるを得ませんでした。しかしそのあたりがこの神社の祭りの面白さでもあるように思います。

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見掛けない種類なので聞いてみたら、馬は御殿場のカルチャーファームから来たおじいさんで、ロシアの労働馬との交配種だそう。「サラブレッドだとこういう馬装は合わないでしょ?」と調教師のおじさん。そうですね!
ハミは洋バミではなく洗いバミだそうですが、私が競馬場に居た頃はトウロクしか使わなかったため、今回初めて洗いバミというものを知りました。どこまでも深い馬文化。
ちなみに乗っているのは神社の巫女さん。

 
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神輿渡御のクライマックス。参道を延々行ったり来たりする。責任者がメガホンで「みんな気持ちよく(担ぎ手を)変わったげてー!」と叫ぶも、みなさん名残惜しいのかなかなか神輿から離れない。なんてったって次の祭りは2050年。
 

神輿渡御がクライマックスを迎えたあと、御霊返しに続いて葛飾八幡宮神楽(通称:八幡のお神楽)が三曲舞われました。昭和30年代に断絶し、現在保存会によって復元の過渡にある農漁村神楽です。八幡に伝わっていた神楽に漁業の要素が含まれていたというお話には驚きましたが、かつてこの神社の近くまで津波が来たという記録もありますし、思えば至極自然なことでした。

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「初おかめ」
神楽のはじまりを告げ、場を清めて祝福する。かわいい。

今年初めに見た船橋市飯山満(はさま)町大宮神社のお神楽は、地元の農家の方々によって受け継がれてきた神楽で、土地に根ざした人々(と神々)の間に流れるゆるさがなんとも魅力的なものでした。一方八幡のお神楽は失われた神楽の復元ということで囃子連や演者に気合いが入っているだけでなく、新規の面が多いことも手伝ってか、神楽の醍醐味であるゆるさのなかにかっちりとしたものがあって、そこにもの悲しさを感じたりもしました。

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「神明おどり」
田の神が耕した土地に狐が種を撒き、大黒さんが打ち出の小槌を振って豊作を祈願する。


とはいえそんなものは贅沢すぎる思いです。凶器になるので餅投げを飴や袋菓子で代用するという八幡の試みは、農村神楽の終焉を意味すると同時に、いかにも都市民による復元神楽らしくて愛らしいですし、芸術としての神楽の始まりともいえるのかも知れません。なによりも今回の舞を成功させた神楽連のみなさんの晴れやかな表情がとても印象的でした。

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「人波(にんば)おどり」
三兄弟が出てきて仕切ったりおどけたりしながら餅(今は菓子)を撒く。動く国芳や暁斎の浮世絵みたい。
 

あれこれ思いながら神楽の面白さに目覚め始めた本年、八幡のお神楽が全十二曲まで復元され、多くの人に囲まれる日を心の底から楽しみにしつつ、飯山満町のお神楽がいつまでも断絶せずに続くことを願うばかりです。

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ところで八幡のお神楽の解説を通して、実は葛飾八幡宮でも2月に湯立てが行われていることを知りました。来年行こう。


I visited Katsushika Hachiman-gu Shrine to see a festival which is held once in 33 years and also enjoyed a kagura, sacred music and dance.

The kagura which is played in this shrine was once extinct in 1950s, but now under revival by strive locals who have researched a little archive left in the shrine. The Kagura was originally played by farmers to play for good harvest, but since there are no more farms in the urbanized city, it was a little bit hard to find lively relationship among new players and gods as much as other Omiya shrine's kagura in Hasama town which is still kept and played by local farmers, but currently facing extinction because of the decrease of farm population.

However, I very much enjoyed the kagura in Hachiman-gu shrine and of course, I'm looking forward to see whole twelve dances in a row so bad while three of them are revived for now. At the same time, I'm irresistible to wish the kagura in Hasama town will be kept for long.

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D09 地球の歩き方 香港 マカオ 深セン 2016~2017 [単行本(ソフトカバー)]

これの地図を見ないと旅行計画が立てられません。
島部のハイキングコースの提案のほか、アートギャラリーの情報が充実していて嬉しい。


自作に誘われて、香港へ行くことにしました。

香港というと、もと英国領で、ひたすらごちゃごちゃした街という印象しかありません。しかしいざ調べてみると、どのような土地にも古い生活が残っているところ、すなわち「いなか」というものがあるものですね。『地球の歩き方』に目を通す限り、香港には古いものが「残っている」ところよりも、観光地化して「残している」ところのほうが多いようです。ここにはもしかすると、あの悪名高いアヘン戦争に続いた英国による占領や、日本軍による占領以前の暮らしを後世に伝えたい、という思いがあるのかもしれませんが…。そう思うと、香港の「日光江戸村」に行ってみるのもいいかもしれませんね。でもやはり本当に触れたいのは今も続けられている土地の生活。香港、内陸に築かれた石の建築物のほか、とくに水上生活者の舟が集まっているという漁村が目を引きました。

ということで、以下香港の行きたいところリスト。
これ作らないと、宿が決まらない。決められない。かっぱえびせん。

もちろんスリと冷戦しながらごちゃごちゃした街を歩くのも大好きなので、街のリストも作るよ!

(※ということで、以下のリストに付されているメモは、あくまで各地について調べた段階での情報です。
まだ香港へ行っていない人は参考にしないでください。帰国後、実際の印象を書き加えます。
それまでこの記事は、ただのインターネットデブリです。)



1.街
香港島…銅鑼湾から堅尼地域まで、雑にみて7.2km。一日でほっつけるか?
・銅鑼湾(Causeway Bay)…アヘンの密貿易で富を築いたマセソン商会のお膝元。
  Noonday Gun…謎の罰ゲームにより、マセソン商会の人が毎日正午に空砲を撃つ。 
  鵝頸橋の下...打小人、スリッパを振り下ろす香港の巫女さん。
  香港塞馬博物館…競馬場附属。馬グッズが見たい。
  渣甸坊(チャアディンフォン)…衣料品屋台。ミニ「女人街」。12:00から。

・湾仔(ワンチャイ)…アートフェア中の拠点。
 ↓ コミックス・ホームベース
 ↓ 皇后大道東周辺の歴史的建造物
 ↓ アジアソサエティ香港センター …ロッカフェラー三世。

・中環(ヅォンワン)…ワンチャイから西に歩くと行っちゃうところ。
 ↓ 香港公園…Aviary、植物園。9:00-17:00。
 ↓ 香港禮賓府(旧督憲府)…日本占領時代の名残あり。
 ↓ ガス燈
 ↓ ギャラリーとか市場とかなんかいろいろ 

・上環(Sheung Wan)…ヅォンワンから西に歩くと行っちゃうところ。 
 ↓ Cat Street 
 ↓ 太平山街周辺…YMCA、香港医学博物館、お廟、宗教的な商店など。
 ↓ 荷李活道公園(Hollywood Park)…Posession point

・西営盤…上環から西に歩くと行っちゃうところ。
 ↓ ガジュマルの神木
 ↓ 西営盤社区総合大楼…30年間廃墟だった元精神病院。隣は麻薬患者厚生施設。

・香港大学
 ↓ 香港大学美術博物館

・堅尼地域
 ↓ 魯班先師廟…大工道具考案者の廟。土木や建築に携わる人の神さま。

あとはトラムなり地下鉄なりに乗って、湾仔か尖沙咀あたりの宿まで帰る! 


九龍半島…市場の渡り歩き。香港島よりもぐちゃぐちゃ!
・尖沙咀(チムシャツォイ) …日本軍が最初に司令部を置いたところ。香港らしいごちゃごちゃ。
 ↓ 九龍公園…朝夕の散歩。

・尖東
 ↓ 西鉄線で北上、あるいは深水埗のYHに泊まる。

・長沙湾駅
 ↓ 季鄭屋漢墓博物館。お墓と副葬品。

・深水埗…手芸用品、おもちゃ。着ぐるみ用に黒い皮を買うぞ。赤もあるかなぁ。
 ↓ 

・旺角…尖沙咀より物価が低いそうな。
 ↓ 關帝廟…九龍半島唯一、香港最大規模の關帝廟。厄払い、商売の神さま。
 ↓ 雀鳥花園(バードガーデン)
 ↓ 通菜町(女人街)…スリ注意の服飾露天
 ↓ 信和中心…サブカル
 ↓ 登打士街…おやつ!
 ↓ 東華三院文物館…清代の香炉とか。
 ↓ 上海街視藝空間…ギャラリーだって。
 ↓ 皮革問屋街…黒い皮をだな…。

・油麻地
 ↓ 棺桶屋
 ↓ 廟街のナイトマーケット。17:00くらいから。
 ↓ 天后廟

・佐敦
 ↓ 腐乳(チーズ)買ったりね。
 ↓ 九龍公園

・尖沙咀…ここか油麻地に泊まりたいなぁ。


島部
・南丫島…ラムア島。人口七千。欧米人多し。ハイキング。

・坪洲島…古くから漁民が暮らす。昔ながらの暮らしが残る。

・長洲島…古くから漁業で栄える。道路がない。小さいのに二万五千人も住んでいる。

・ランタオ島…空港がつくられている島。ディズニーランドもあれば昔ながらの生活もある。
  大澳…水上生活をする漁民の暮らしが残る。
  煕篤会神楽院…弾圧を逃れたキリスト教徒が開いたと考えられる修道院。宿坊。
  ハート・スートラ…新しそうだし、あまり興味ないなぁ。
  ディズニーランド…浦安のでいいじゃん。


北部と深圳
今回はパス。


マカオ…世界遺産に興味はないが、世界遺産にも指定されているポルトガルの街並み。
行けたら行きましょう。



ということで!



所要日数
街歩き:2日
島歩き:4日
予備日:2日
アートフェア: 6日
計:14日

3月10日にお祭りがあるようですが、これに臨むならば3月9日からいなければいけないでしょう。
すると制作日数が減ってしまうのだ。それはちょっと怖い。 

ひとまずこんなかんじで、考えてみたいと思います。
次は具体的なスケジュールを立てよう。 

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