香港滞在中、古い香港の暮らしを見たいとの思いから香港の離島を巡りました。そのなかで最初に渡った南丫島(Lamma Island)は人口6000人の島ですが、中環からフェリーで30分足らずという便利さから、街の人混みを嫌う人が多く住む島でもあるようです。島内にはランニングする人や島民が行き交う小道があり、海や火力発電所を眺めながらほどよい高低差が楽しめました。ただ、特に島中央部は乾燥した低木が多いため、のちに訪ねる長洲島のほうが複雑で面白かったように感じました。
索罟湾沿いの浜に唐突に現れた「かみかぜ洞」は、日本軍が自爆攻撃を行う高速艇を隠すために掘った洞穴とのことです。日本軍が沖を行く連合軍の艦隊を待ち受けていた湾には、いま無数のいけすが浮かんでいます。小屋や小舟、ときに植木を備えたいけすの塊は生活そのもので、その背後に連なる光景や人間関係について想像がかき立てられました。他方、現在それらのいけすや漁船の背景にかすみながら並ぶ愉景湾あたりの高層ビルも、都市と地方のギャップをひとつの風景のうちに突きつけてきて、強烈なものでした。
最後に訪ねた索罟湾上に浮かぶ南丫漁民文化村は、香港の漁民の文化や歴史について地元の青年と話しながら学べる民俗資料館のような場所でした。水上生活者が使っていた船や儀礼をはじめとする人間の生活だけでなく、飼われている食用魚や巨大魚相手の釣り体験を通して、魚や魚の力についても知ることができるよい施設でした。掲示されていた施設認可証のようなものによると、300人乗ると沈むらしい。
離島歩きに欠かせない中環の諸埠頭。通い詰めるうちに駅のプラットフォーム間隔で使うようになりました。
気軽に乗れる香港の船は本当に楽しい。海から香港島を眺めると、香港が海上の山にびっしりと植え付けられたビル群であることが実感できますし、それをバックに行き交う新旧大小さまざまな船の数々にも飽きることがありません。
これはマカオ行きの水中翼船。完全に浮いとる。乗り心地は新幹線相当。
こちらは香港島の西湾河と九龍半島の觀塘を繋いでいるらしい。なぜ中環付近にいるのか謎ですが、MTRよりも速そう。浮き輪が欠損してるのが怖いけど。
南丫島の柑樹湾に到着。香港中心部とは打って変わり、ちゃぷちゃぷという波の音と小舟が小さな港に並ぶ光景にはゆったりとした時間が流れていました。
ほかの多くの離島同様、南丫島は自動車の乗り入れが禁止されているため、人間は徒歩や自転車、小型の作業用車両で移動します。
バババババ。これが頻繁にピストン走行していました。道を空けて運転手さんとあいさつ。
島歩きの前に腹ごしらえ。港に続く小さな街を歩き、地元の人が自宅のようなゆるさで朝食を食べている店に入りました。ゆるすぎて誰がお客で誰が食事中の店の人なのか、伝票なしではわかりません(手前の洗濯ばさみで挟んである紙が伝票)。
メニューの漢字を睨んで具と麺を適当に組み合わせて注文したところ、香港ミルクティーに続いて、ハムが乗った米粉が来ました。優しいおかみさんがミルクティーに砂糖壺を寄せながら「砂糖!入れてね!」と仰るので、地元の人の真似をして多めに入れたら大変美味しかったです。ただ紅茶が相当濃く煮出してあるらしく、ミルクティーにもかかわらず抜群の利尿作用でした。米粉のスープも日本では味わえないようなまろやかさで、全部飲んだらおかみさんが驚いて笑っていました。
香港中にある漁業者の神にして海の女王、天后(ティエンハウ)の古廟。さしずめ日本のこんぴらさん。
南丫島には村ごとに解説板があり、これを読みながら歩くのも一興です。「香港に四つしかない"三山國王 / Sam Shan Kwok Wong"(三山の皇帝)を祀る寺」に大変興味をそそられたのですが、看板の地図に記載がなく、私の質問の仕方が悪かったとみえて島の人に聞いても所在が分かりませんでした。自力で探せるかもしれないとも思いましたが、斜面に沿ってどこまでも続く家々を見上げるなり、そんな気は一瞬で失せました。
香港の村や郊外を歩くあいだ、このような社壇をいくつも見掛けました。初めて見た社壇にただの石が祀られているのを見たとき、思わず嬉しくなって「ただの石だ…!」と声に出してしまいました。
新しいアパートの合間に、多くの場合廃屋になった古い家がぽつりぽつりと残っています。
気温が高いためか香港の小鳥は脚が長い。
育てられているのか野生化しているのかよくわからないバナナがたくさん生えています。
庭木はパパイヤ。
島中に犬のトイレが整備されていました。
飼い主の方が元気が良いため、ランニングについていくのが大変そうな犬。
ビーチに出ました。背後に見えているのは火力発電所。大きく太い三本の煙突はどこから見ても圧巻でした。香港の原子力発電所は深圳との境目の深圳側にあり、電力は中国本土と香港双方に供給されているそうです。東京都の半分ほどの面積しかない大都市香港のすぐそばに原発があることに驚きました。爆発や大事故があった場合、あれだけの人間の行き場をどこに求めるつもりなのだろう。
中央部がくびれた南丫島の南北を繋ぐトレイルを歩きます。
島のくびれの部分は山腹にお墓がたくさんあるだけで村はなかったように記憶していますが、養蜂場がありました。
山火事を消す道具と理解しましたが、かえってこれで火を大きくすることはないのだろうか…。使用後元に戻してね、というのもなんだか暢気な気がして面白いです。
ランニングする人もいれば生活道として歩く人もいるトレイル。
湾のレストラン街を背後に、いけすの筏がたくさん見下ろせました。
水上生活時代から用いられてきた丸い屋根を持つ船も散見されます。筏に住んでいる人もいるのかも。
野良犬というよりはたぶん地域犬。
村を抜けながら湾へ下っていきます。
すっかり降りてきました。
湾に沿って歩いていたら、突然洞窟が口を開けていました。
かみかぜ洞
索罟湾には海沿いには、幅十メートル、深さ数十メートルの洞窟がいくつか点在しており、地元民にかみかぜ洞と呼ばれている。Lo So Shingは第二次世界大戦中に日本軍が軍港として占領し、数千の兵士が配備されたと伝えられている。日本軍はこれらの洞窟に高速艇を隠し、同盟軍の戦艦が通りかかったときに出撃して自殺攻撃を仕掛ける計画を立てていたが、作戦が実行されるまえに終戦を迎えた。
よかったよかった。
一方で、占領した日本軍とまだ少なかったであろう当時の島民との関係が気になるところです。
洞の突き当たりには、二箇所ほど削岩機を突き立てた跡が残っていました。
かみかぜ洞がいま臨む索罟湾の風景は、生活そのものです。
洞を出て浜沿いに歩くと、埋もれたかみかぜ洞と思しきものがいくつか散見されました。
大きな天后廟。毎年初夏にお祭りがあるそうです。
ここを抜けると索罟湾の海鮮レストラン街。
香港で悪犬に吠えたてられた記憶がありません。内に有るからか。
ダラ犬外有。
香港の犬は日本の犬よりも躾が良い気がします。
この子は地域犬なのか気儘に歩き回っては寝ていた。
漁業従事者の暮らしの背景に都市の生活がかすんで見えました。
香港の景色は都市と地方、新と古を容赦なくぶつけてきます。
チケットを買ったときに見せられた写真の船が埠頭へやって来ました。
土産物屋の人が電話をすると、船上にいるおじさんが埠頭へやって来るらしい。オンデマンド。
これが目的地の漁民文化村ですが、ほかのいけす同様ごちゃごちゃしていて分かりづらい!
いろいろな資料が展示してあります。これはドラゴンボート。季節が来たら使うのかな。
奥へ進むと好青年がやってきて、「釣りカード持ってるよね?」と聞かれます。
カードを渡すと冷凍した魚を手際よく縄で縛った釣り竿を渡してくれました。太公望か。
「なにかこれは伝統的な漁法なの?」と聞いたら、「いや全然。ただ面白いからやるんです。」とのこと。なんじゃそりゃと思いながらいけすの大魚をしばらくちゃかして遊びましたが、エサを持って行かれて納得。魚を傷つけず魚の力を知るのに、これほどよいゲームはありません!
ほかに有料で、針を使った釣りも出来るようでした。
カブトガニ、Horse Shoe Crab。中国語でも馬蹄蟹だそうです。
結構重かった。
きれいでとても大きな魚だった。これも食べられるそうです。高いそうな。
うなぎ捕り器!
写真資料も充実していますが、文化村自体が海上に浮いているためゆらゆらと揺れており、あまり熱中しすぎると酔います。
水上生活者が40年前まで使っていたという船。中の竈や寝室、神棚も見ることが出来ます。
これだけでも大興奮だったのですが、まさかこの数日後、長洲島で現役の同型船を何隻も見ることになろうとは…。
じっくり二時間ばかりも漁民村を楽しんだあと、セントラルへのフェリーがやってくるのが見えたので、ふたたびオンデマンドおじさんの船で島へ戻り、香港島へ帰りました。
それにしても香港、津波や高潮がきたときの対処法とかあるのかなぁ。
一日中犬の多い南丫島への旅でした。
索罟湾沿いの浜に唐突に現れた「かみかぜ洞」は、日本軍が自爆攻撃を行う高速艇を隠すために掘った洞穴とのことです。日本軍が沖を行く連合軍の艦隊を待ち受けていた湾には、いま無数のいけすが浮かんでいます。小屋や小舟、ときに植木を備えたいけすの塊は生活そのもので、その背後に連なる光景や人間関係について想像がかき立てられました。他方、現在それらのいけすや漁船の背景にかすみながら並ぶ愉景湾あたりの高層ビルも、都市と地方のギャップをひとつの風景のうちに突きつけてきて、強烈なものでした。
最後に訪ねた索罟湾上に浮かぶ南丫漁民文化村は、香港の漁民の文化や歴史について地元の青年と話しながら学べる民俗資料館のような場所でした。水上生活者が使っていた船や儀礼をはじめとする人間の生活だけでなく、飼われている食用魚や巨大魚相手の釣り体験を通して、魚や魚の力についても知ることができるよい施設でした。掲示されていた施設認可証のようなものによると、300人乗ると沈むらしい。
離島歩きに欠かせない中環の諸埠頭。通い詰めるうちに駅のプラットフォーム間隔で使うようになりました。
気軽に乗れる香港の船は本当に楽しい。海から香港島を眺めると、香港が海上の山にびっしりと植え付けられたビル群であることが実感できますし、それをバックに行き交う新旧大小さまざまな船の数々にも飽きることがありません。
これはマカオ行きの水中翼船。完全に浮いとる。乗り心地は新幹線相当。
こちらは香港島の西湾河と九龍半島の觀塘を繋いでいるらしい。なぜ中環付近にいるのか謎ですが、MTRよりも速そう。浮き輪が欠損してるのが怖いけど。
南丫島の柑樹湾に到着。香港中心部とは打って変わり、ちゃぷちゃぷという波の音と小舟が小さな港に並ぶ光景にはゆったりとした時間が流れていました。
ほかの多くの離島同様、南丫島は自動車の乗り入れが禁止されているため、人間は徒歩や自転車、小型の作業用車両で移動します。
バババババ。これが頻繁にピストン走行していました。道を空けて運転手さんとあいさつ。
- 文記餐廊 Mon Kee Restaurant
島歩きの前に腹ごしらえ。港に続く小さな街を歩き、地元の人が自宅のようなゆるさで朝食を食べている店に入りました。ゆるすぎて誰がお客で誰が食事中の店の人なのか、伝票なしではわかりません(手前の洗濯ばさみで挟んである紙が伝票)。
メニューの漢字を睨んで具と麺を適当に組み合わせて注文したところ、香港ミルクティーに続いて、ハムが乗った米粉が来ました。優しいおかみさんがミルクティーに砂糖壺を寄せながら「砂糖!入れてね!」と仰るので、地元の人の真似をして多めに入れたら大変美味しかったです。ただ紅茶が相当濃く煮出してあるらしく、ミルクティーにもかかわらず抜群の利尿作用でした。米粉のスープも日本では味わえないようなまろやかさで、全部飲んだらおかみさんが驚いて笑っていました。
香港中にある漁業者の神にして海の女王、天后(ティエンハウ)の古廟。さしずめ日本のこんぴらさん。
南丫島には村ごとに解説板があり、これを読みながら歩くのも一興です。「香港に四つしかない"三山國王 / Sam Shan Kwok Wong"(三山の皇帝)を祀る寺」に大変興味をそそられたのですが、看板の地図に記載がなく、私の質問の仕方が悪かったとみえて島の人に聞いても所在が分かりませんでした。自力で探せるかもしれないとも思いましたが、斜面に沿ってどこまでも続く家々を見上げるなり、そんな気は一瞬で失せました。
香港の村や郊外を歩くあいだ、このような社壇をいくつも見掛けました。初めて見た社壇にただの石が祀られているのを見たとき、思わず嬉しくなって「ただの石だ…!」と声に出してしまいました。
新しいアパートの合間に、多くの場合廃屋になった古い家がぽつりぽつりと残っています。
気温が高いためか香港の小鳥は脚が長い。
育てられているのか野生化しているのかよくわからないバナナがたくさん生えています。
庭木はパパイヤ。
島中に犬のトイレが整備されていました。
飼い主の方が元気が良いため、ランニングについていくのが大変そうな犬。
ビーチに出ました。背後に見えているのは火力発電所。大きく太い三本の煙突はどこから見ても圧巻でした。香港の原子力発電所は深圳との境目の深圳側にあり、電力は中国本土と香港双方に供給されているそうです。東京都の半分ほどの面積しかない大都市香港のすぐそばに原発があることに驚きました。爆発や大事故があった場合、あれだけの人間の行き場をどこに求めるつもりなのだろう。
中央部がくびれた南丫島の南北を繋ぐトレイルを歩きます。
島のくびれの部分は山腹にお墓がたくさんあるだけで村はなかったように記憶していますが、養蜂場がありました。
山火事を消す道具と理解しましたが、かえってこれで火を大きくすることはないのだろうか…。使用後元に戻してね、というのもなんだか暢気な気がして面白いです。
ランニングする人もいれば生活道として歩く人もいるトレイル。
湾のレストラン街を背後に、いけすの筏がたくさん見下ろせました。
水上生活時代から用いられてきた丸い屋根を持つ船も散見されます。筏に住んでいる人もいるのかも。
野良犬というよりはたぶん地域犬。
村を抜けながら湾へ下っていきます。
すっかり降りてきました。
- かみかぜ洞
湾に沿って歩いていたら、突然洞窟が口を開けていました。
かみかぜ洞
索罟湾には海沿いには、幅十メートル、深さ数十メートルの洞窟がいくつか点在しており、地元民にかみかぜ洞と呼ばれている。Lo So Shingは第二次世界大戦中に日本軍が軍港として占領し、数千の兵士が配備されたと伝えられている。日本軍はこれらの洞窟に高速艇を隠し、同盟軍の戦艦が通りかかったときに出撃して自殺攻撃を仕掛ける計画を立てていたが、作戦が実行されるまえに終戦を迎えた。
よかったよかった。
一方で、占領した日本軍とまだ少なかったであろう当時の島民との関係が気になるところです。
洞の突き当たりには、二箇所ほど削岩機を突き立てた跡が残っていました。
かみかぜ洞がいま臨む索罟湾の風景は、生活そのものです。
洞を出て浜沿いに歩くと、埋もれたかみかぜ洞と思しきものがいくつか散見されました。
大きな天后廟。毎年初夏にお祭りがあるそうです。
ここを抜けると索罟湾の海鮮レストラン街。
香港で悪犬に吠えたてられた記憶がありません。内に有るからか。
ダラ犬外有。
香港の犬は日本の犬よりも躾が良い気がします。
この子は地域犬なのか気儘に歩き回っては寝ていた。
漁業従事者の暮らしの背景に都市の生活がかすんで見えました。
香港の景色は都市と地方、新と古を容赦なくぶつけてきます。
- 南丫島漁民文化村
チケットを買ったときに見せられた写真の船が埠頭へやって来ました。
土産物屋の人が電話をすると、船上にいるおじさんが埠頭へやって来るらしい。オンデマンド。
これが目的地の漁民文化村ですが、ほかのいけす同様ごちゃごちゃしていて分かりづらい!
いろいろな資料が展示してあります。これはドラゴンボート。季節が来たら使うのかな。
奥へ進むと好青年がやってきて、「釣りカード持ってるよね?」と聞かれます。
カードを渡すと冷凍した魚を手際よく縄で縛った釣り竿を渡してくれました。太公望か。
「なにかこれは伝統的な漁法なの?」と聞いたら、「いや全然。ただ面白いからやるんです。」とのこと。なんじゃそりゃと思いながらいけすの大魚をしばらくちゃかして遊びましたが、エサを持って行かれて納得。魚を傷つけず魚の力を知るのに、これほどよいゲームはありません!
ほかに有料で、針を使った釣りも出来るようでした。
カブトガニ、Horse Shoe Crab。中国語でも馬蹄蟹だそうです。
結構重かった。
きれいでとても大きな魚だった。これも食べられるそうです。高いそうな。
うなぎ捕り器!
写真資料も充実していますが、文化村自体が海上に浮いているためゆらゆらと揺れており、あまり熱中しすぎると酔います。
水上生活者が40年前まで使っていたという船。中の竈や寝室、神棚も見ることが出来ます。
これだけでも大興奮だったのですが、まさかこの数日後、長洲島で現役の同型船を何隻も見ることになろうとは…。
じっくり二時間ばかりも漁民村を楽しんだあと、セントラルへのフェリーがやってくるのが見えたので、ふたたびオンデマンドおじさんの船で島へ戻り、香港島へ帰りました。
それにしても香港、津波や高潮がきたときの対処法とかあるのかなぁ。
一日中犬の多い南丫島への旅でした。
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