香港のランタオ島に静かに佇むトラピスト修道院、熙篤會神樂院(Our Lady of Joy Abbey)へ行きました。結果凡ミスも犯しましたが、亜熱帯の鳥の声を聞きながら雑木林に囲まれた村々を縫って歩く、よい散歩の時間を持つことができました。

私とキリスト教とのかかわりは妙なものなので、なぜ香港へ来てそんなところへ行きたがったのかと聞かても若干困ってしまうのですが、山の中の宗教施設で静かな時間が過ごしたかったこと、私が通っていたミッション校が「沈黙の礼拝」という無言の礼拝を行うクエーカーの学校であったこと、『地球の歩き方』に掲載されているアクセスの悪さに魅力を覚えたことなどが大体の理由です。

この神楽院は沈黙を守るシステリアンやトラピストのカトリックの修道士が暮らす修道院で、迫害を逃れて河北からやってきた人々が1950年代に建てはじめたといいます。島や半島は概して海に浮かぶ山のようなものですが、そのランタオ島の山の上の修道院の建築資材は4km離れた梅窩から修道士によって徒歩で運ばれたそうです。石材だったら結構大変かもしれない。

修道院はその活動資金を得るために、かつて敷地内の牧場で十字牌牛乳(Trappist Milk)を生産していました。大変評判のよい牛乳だったようですが、修道士の高齢化に伴って酪農が持続できなくなったため、現在は個人資本の牧場がその商標を引き継いでいるそうです。購入することはありませんでしたが、この十字牌牛乳は旅の間も香港中のスーパーで見つけることが出来ました。いま修道院で生産されているものとしては、トラピストクッキーが知られているそうです。これを求めて修道院を訪れる人も少なくないようで、庭の手入れをしていた修道士さんに伺ったところ、とても穏やかな声で「今日の分はもう売り切れたと思うなぁ…」とのお答えでした。機会があったらいつかまた。ちなみにLantau Onlineによれば、53haある修道院の土地は1ha200ドルで香港政府から貸し付けられており、修道院は1951年以来ずっと変わらぬその金額を納めているのだとか。

この修道院にはゲストハウスがあり、宿泊者は礼拝に参加しなければならないといいます。さながら宿坊のようなこのゲストハウスに関心を持ち、神楽院のホームページを通じて宿泊予約をしたところ、希望の日が全て満室とのメールが返ってきました。一度メールを送ると返信に5日掛かるのですが、幾度かやりとりをする間、ついに修道院と音信不通になってしまいました。香港渡航前に友人の夫君の親切な香港人の友人に電話を数回入れてもらいましたが、誰も出ないとのこと。今回は縁がなかったのでしょう。訪問だけすることになりました。

さてアクセスの面倒な神楽院へ行くにはいくつかのルートがあるそうですが、私は香港島から坪洲島を経由し、ランタオ島にある神楽院専用の埠頭から徒歩で向かう方法を取りました。『地球の歩き方』に記載された「所要約1時間。埠頭の右側の道を、林や畑などを抜けつつ、ひたすら進むとたどり着く」ルートよりは楽そうだったからです。

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香港島中環(Central)の坪洲島行きフェリー乗り場、6号埠頭。

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坪洲島に到着。

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坪洲島も味わいのある小さな島です。
神楽院を経由するランタオ島愉景湾行きの船が来るまでの間に小さな商店街で靴下を買って履きました。だって宿の湿度が高い上に狭い相部屋で洗濯ができなかったんだもん。3足セット。3日分の靴下。えらい助かる。

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そうこうするうちにやってきたこの小さな船に乗ります。
日に2便ほどしかない、神楽院の埠頭を経由する船。
生魚をビニール袋に入れてぶら下げたおばあちゃんなどから、香港の船が日常の交通手段であることが窺えます。

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どこで降りても一律料金なので、乗ってほどなくすると集金さんが来ます。

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ところがフェリーのようにアナウンスがないこともあり、ほっとしているうちに神楽院埠頭で下船し損ねた!!!魚を提げてたおばあちゃんがいない。修道院への差し入れだったのか。

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慌てて舳先に出てみるも時既に遅し。既に舳先近くに座っていた英語の通じない乗客のおじさんとニコニコし合いながら愉景湾に到着。「所要約1時間。埠頭の右側の道を、林や畑などを抜けつつ、ひたすら進むとたどり着く(『地球の歩き方』)」ルート確定。あははは。


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ひたすら進まなければならない「埠頭の右側の道」は確かに埠頭の右側にありますが、なぜかフェンスの切れ目から延びています。立ち入り禁止区域かと思った。

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トレッキングルートでもありますが、どちらかというと生活道の色のほうが濃い道です。集合住宅のような村の郵便受けがありました。

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海を左手に望みながら、小さな段々畑の間を縫う。バナナが風に揺れる穏やかな景色。

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看板を読むに、この畑は分譲家庭菜園や、有機農園のようです。
チベット仏教の旗が揺れていますが、チベットの人がやってるのかなぁ。

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この小さな社壇の背後の饅頭はお墓ではないのか…。

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人の家の前庭を抜けたりして道なりに30分ほど歩いて分岐を折れたところ、突如林の木に打ち付けられた十字架が現れました。突然5番目の十字架ですが、どうやら下船し損ねた埠頭から続いているようです。

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神楽院の埠頭からずっとこんなかんじの幅広い道を歩くのだったら、図らずも辿ってきたこれまでのルートの方が楽しいかもしれません。

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沿道にはさほど間を置かず「転倒する」「衣を剥がれる」「打ち付けられる」などと書かれた十字架が現れ続けます。どうやらキリストと一緒にゴルゴタの丘を登って、磔にされているらしい。

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背後に海を一望する10番目「懸架」の十字架を過ぎると、手入れされた質素な庭と控えめな建物が現れました。

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神楽院に到着です。なんだ、埠頭から歩き始めて40分くらいだったじゃないか。東京あたりでは温室で育てられている植物を自然の姿で眺めつつ、耳慣れない美しい鳥の声を聞きながらの、楽しい散歩です。

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恐らくはこれが私が泊まりたかったゲストハウス。
高校のころ布教の経過で日本化されたキリスト教について調べていたため、入口の両脇に香港の民間信仰をキリスト教流にアレンジした朱色の紙が貼ってあるのがとても気に入りました。

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記帳の上の、これもそうね。

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白い修道服の修道士さんがビニール手袋をして作業にあたっていました。

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ちなみに修道士さんの作業所の左手の道を進むと、ここの建築資材が運ばれてきたふもとの梅窩に至ります。この日もハイキングの人が何人も登ってきました。

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「復活」と書かれた最後の十字架から続く橋で、谷の小川を渡ります。

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礼拝堂。

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鳥の声が響くほかは静まりかえって誰もいません。

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アルファとオメガを漢字で。訪ねたのは2017年3月ですが、この修道会の特別な年にあたる2016年を記念したロウソクがそのまま立てられているようです。

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神楽院の埠頭で下船し損ねなければ午前経に間に合ったかもしれないし、無理だったような気もする。船の時刻が礼拝の時刻に合わせてあると考えるのが妥当なようにも思いますが。

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結局次の礼拝まで一時間以上あったので、ひとりで沈黙の礼拝を持って礼拝堂を後にしました。

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来た道を引き返します。同じ道ということもあって気分が軽いためか、いろいろなものに気付きます。
あれ、石積み?

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鳥の巣だね。

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海を見下ろしながら民家の間の生活道を下っていきます。

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途中随分廃墟や生活の遺構があり、古い暮らしの消滅と過疎を感じさせます。

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花やしきのジェットコースターよろしく民家のなかを通る道。道が民家のなかを通っているのか、民家が道を呑み込んだのか…後者かな…。

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犬が一匹入りそうな大きさの檻ですが、一体なんの罠だろう?

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愉景湾が近づいてきた。

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この仲間は日本の山でも見たことがある気がする。

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ツタに覆われたお墓。ほかに段々畑の石垣の遺構などもありました。
そう遠くないであろうかつての風景を想像しながら歩く。

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愉景湾の埠頭に戻ってきました。来た道を一望することが出来ます。
廃屋の背後の山の上には新しい集合住宅が建てられていました。すごい絵だ。

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坪洲島へ戻る船。わいわい。

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坪洲島へ戻る間、小さいながらも堂々と佇む神楽院の礼拝堂をずっと見ることが出来ました。
神楽院は坪洲島から見えるほど近いところにあるのですね。
思わぬ失敗によって、より充実した散歩をすることができました。