GTS04

〈墨周奇譚〉というシリーズがある。街や集落で撮影した写真を背景に、そこをぶらつく霊魂を描いた一連の試作品群だ。台東区と墨田区に関わる作品を展示するプロジェクトのために制作した。私が都市や人間の生活域を描き始めたのは比較的最近のことだ。

私は千葉県市川市の新興住宅地に生まれ育った。貝塚や古墳のような盛り上がり、法華経寺の大荒行に八幡の藪不知など、関心を抱くものは少なくないが、両親の出身地でもなければ、何百年も継承されてきたものづくりや芸能を皆で受け継ぐこともないこの土地を、私は故郷と思ったことが一度もない。一方で子供心に自分が帰る場所のように考えていたのは、繰り返し触れている吾妻山麓のブナの森である。しかし中学生のころ、この遊歩道が観光資源開発のために、当のブナの根を切り崩して敷設されたものであることを知った。そのころはこれを環境問題と捉えていたが、これはひとつの矛盾である。地元を自分の場として認められない私は、樹木の根を痛めつけて造られた道を歩きながら、「手つかずの森」を心のよろこびの場としていたのだ。この矛盾に気付かせたのは、福島第一原子力発電所の事故だった。原発や原発の仕事は、都市が欲しながらも高い危険性を持つものであり、都市はこれを遠方の産業が衰退し困窮していた地域や農漁村へ交付金と引き替えに植えつけることで支えられてきた。これは沖縄の基地問題にも通じる。その構図と根を切られた道でブナ原生林を楽しむ自分が重なってしまった。それは消費的で、自らの居住地に対してさえも余所者である自分だ。

民間伝承や民間信仰は、近代化と合理化がもたらす不健全な循環に対する現代人の疑問に、新しい視野をもたらして未来を見据えさせる遺産である。しかし、都市から離れており、地に根ざしているが故にそれを継承してこられた地域の共同体は、都市に人を送り込んできたために過疎と高齢化が進んでいるといわれるようになって久しい。ぶらっと訪ねた私には分からなかったが、地方都市出身の知り合いでさえも、人が減っていると言う。このような状況下で、都市を直視せずただ山林や洞窟などを異界として描き続けるのは無責任であり、逃避的だ。そのために、都市を描くようになった。まだ作例は殆どないが、ゆくゆくは都市と繋がってきた町や村も描くつもりだ。

GTS05

人間の居住区は人間が快適な生活を求め、必要に応じて加えてきた造作の積み重なりだ。〈墨周奇譚〉では、それらのうち面白く思ったものを撮影し、それに関わったり、ただ通りすがったりする何らかのものを描き加えた。子供の頃通学路を塞ぐ大きくて真っ青なオナガや、宿の階段を一緒に上る猫、生きた馬に騎乗するジョッキー、道具入れにしている馬房にいた天井まで届くほどの巨大で黒い馬など、妙な幻覚を見た。岩手県の山田町では、家々の基礎の上を歩く男性を見、その日の晩宿の人に幽霊を見たかと聞かれた。これらのものが幽霊なのか、私の疲れ目なのか知らない。本当は霊だと思いたいが、そう言ってしまうと相手が二度と私に見えて暮れなくなるような気がするのだ。人間の生活をこれらの存在がどう見ているのか想像し、撮影地に対する理解と直感に基づきながら、続けていきたいと思う。

Time Examiners_s_1000w

〈時検分図(御岳組)〉では、様々な時代の日本列島の動物が御岳組と呼ばれる方法で組む紐が、現代の日本に垂れていっている。手前に見えるのは平成を象徴する東京スカイツリーを中心とした東京の光景で、 その奥に繋がっているのは福島第一原子力発電所を望む福島県浜通の海岸である。