森林や山は私の内面を開き、野性を開放する場所でありながら、同時に絶えず孤独や不安、恐怖を感じさせる場所であり、言うなれば魂を裸にする場所です。そのため幾度も描いてきました。

山林にも様々なものがありますので、私は当分山林の描写に慣れることはないでしょう。しかしだからといって親しみのあるものばかり描いていては、ずっと同じようなことばかり考えて、マンネリに陥りかねません。私にとってマンネリは、退屈というよりも恐怖です。自分が前の絵とさして変わらぬことを繰り返しているのではないかと思うと、不安でたまらなくなります。山林もまたそう思って描き始めたものではありました。そこで半ば強迫的に、森ではない空間を描かなければならない、そしてまた描きたいと思うようになりました。描くという行為は、描く対象に対する知識の有無に関わらず、実体験に基づく相手の性質や魅力を把握しなければできないことです。そのため描いたことのないものを描くとき、狭まっていた自分の視野と思考は客観的に捉えられ、手を動かすことによって押し広げられていきます。またかえって、関心が湧いたことを考えるために、親しみも愛情もないものを描くということも考えられます。私はこれが絵画制作を中心に手と足で物事を考えることを選んだ者と、好きなものを描き続ける趣味的な絵描きとの間に大きな差をつけていると考えています。

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〈石橋〉

森に続いて新たに取り組んだのは、それまでにいくつか見て、次第に関心を覚えてきていた洞窟でした。〈石橋〉は同名の能に主題を取っています。本来、この物語は谷深き秘境の山奥にある、天然の石の橋が舞台です。しかし岩手県久慈市の小袖海岸にあるつりがね洞を受けてこの絵の制作を始めたため、画中では洞窟を舞台としました。

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不二洞の空穴(そらあな)

洞窟と森は、自分よりも遥かに大きなものに囲まれ、安心感と威圧感とを同時に得る空間としてよく似ています。鍾乳洞には洞を形作る地下水が流れていることが多く、豊かな水気も森と共通するかもしれません。ときおり嫌に鬱蒼として薄暗い森があります。針葉樹林が多いように思いますが、しかし洞窟はそれどころではありません。そこは完全な闇が支配する世界です。また、静かに座っていたらもっと何かいるのかも知れませんが、コウモリや岩壁を歩き回る虫くらいしか生物の気配がありません。ときには群馬県上野村の不二洞のように、数万年前に地表から転落し、彷徨った末そのまま餓死したと思われる動物の骨が発見されることさえあります。その点では森と全く対象的といえましょう。

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観光資源化された洞窟で、前人未踏の闇の奥へと歩を進めて行った人の感覚を想像するのは容易ではありません。多くの鍾乳洞は足下がコンクリートで平坦にならされ、電灯が設置されているからです。ときにはじわじわと色を変える派手な照明を施したものもあります。近くに遠くに、複雑な形状を見せる岩壁に映し出される色の移り変わりを見るのは嫌いではありません。むしろ好きなくらいです。しかしそのように人間に支配された鍾乳洞も、本来は水の通り道であり、必ずどこに繋がっているとも知れない漆黒の穴があります。ただ暗いだけの窪みだったら、そこまで恐ろしくも感じないでしょう。それが人間が入っていけそうな道になっており、そこをかよう冷風の気配も手伝って、意識が奥へ奥へと引っ張られるから気味が悪いし、怖いのです。そこから真っ先に想像されるものは、彷徨った末の死です。

福島県田村市の入水鍾乳洞は、そのようなどこへ続くとも知れない穴道に入っていける小さな鍾乳洞です。入水というくらいですから足下には絶えず冷たい水が流れていて、その中を、ときにはパンツまで濡らしながら、ろうそくの灯りを頼りに奥へ奥へと進んでいきます。洞内は狭く、四つん這いになったり、体を岩壁に合わせって捻じ曲げなければ進めないところがいくつもあります。太った人がそこに挟まれようものなら、洞の奥にいる人たちはその人がしぼむまで出てこられなくなる―そのような不安が頭をよぎるほど狭いのです。岩に体を擦りつけ、身をよじりながら暗い穴道を進む様子は、参道を通る赤ん坊を思わせます。天然の胎内めぐりです。

胎内めぐりとは、即ち擬似的に一度死んで、生まれ直すということです。死に装束を纏って山駆けに臨む山伏の修行道場には、天井から縄と扇が吊り下げられており、それぞれ参道と陰門の位置を象徴することで、擬似的な生まれ直しの経過を示しているといいます。カーメン・ブラッカーは、日本において洞窟は明らかに生と死の間の境界であると述べています。古代から、山と洞窟は、ともに生に向かう死霊の世界なのです。(山に生業を持ち、山の生命によって生かされていた山民がそのように思っていたかどうかは疑問ですが…。)

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前述したように〈石橋〉制作の動機となった小袖海岸のつりがね洞は、波に洗われる岩をなんとか渡っていけば歩いて到達できそうなところにある、とがった巨岩の島です。延々続く洞窟ではありませんが、一部が大きな洞になっており、明治29年の大津波で崩れるまではその天井から大きな釣鐘型の岩がぶら下がっていたといいます。夫婦があの世へ行くときはこの地で落ち合い、その鐘を突いてから極楽浄土へ向かうとの伝承があるとのことでした。波を被る岩の連なりは視線を島へと誘い、背後の太平洋の広がりは意識をさらに遠くへと開放します。岩から生える松は気高く、低木は愛らしい。久慈の人にとってのあの世がどこなのかは知りません。漁業によって暮らす人たちと、陸から滅多に離れない私では、海に対する印象も全く異なるでしょう。しかしすぐに波の音で興奮する私にとって、潮風に当たりながら眺めるつりがね洞は、確かに視線の移動によって人の意識を遠方の世界に運ぶ装置のような場として、強く印象に残りました。

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不二洞の経文がびっしりと描き込まれた川原石

群馬県上野村の不二洞は、完全にこの世のあの世として想定されています。この洞窟は800年頃に村人によって発見され、その後多くの人によって探検されたあと、1600年頃に地元の僧によって修行場として世に広められたといいます。1700年代にはこの地に流行した疫病を鎮めるため、その僧の後継者がいくつもの河原石に細かく経文を書き入れて竪穴に納め、自らもそこで入定したといいます。聖なる空間で自ら生け贄になろうとしたのか、魂となってこの空間に宿ることで村を守ろうとしたのか…。

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不二洞の「賽の河原」

1960年代には既に観光地化されていたためか、過剰な整備と観光客による破壊行動から保存状態はあまりよくありません。しかしそれまで禁足地だったというほどの強い宗教性は、現在も洞内各所の名称に遺されています。石筍やちょっとした岩棚などに名付けられた「閻魔の百聞馬場」、「六地蔵」、「賽の河原」、「大日如来」などの名前はこの鍾乳洞をあの世に変貌させ、火の明かりを頼り巡る者たちにこれらの神仏を遭遇させるための仕掛けです。

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洞窟観音

高崎の洞窟観音は、そのような空間を一市民が自ら作り上げてしまった例といえます。洞窟観音は信仰心の篤かった大正・昭和の豪商山田徳三が、30歳頃から80歳で没するまでの半世紀あまり、私財を投じ、自身や夫人も参加して掘り出した、人工の宗教的な洞窟です。400メートルにわたる坑道の途中には、モルタル製の滝や枯山水を備えた壁龕や高さ20メートルを越える大空間が設けられており、36体の観音像が安置されています。訪問者は洞内でその一体一体に遭遇しながら洞窟を進みます。そして山田徳三が没するまで掘り進められた未完の空間の開口部と木製の足場を後に、外界へ戻ります。

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岩木山赤倉ルートの観音さま

観音巡りは岩木山の赤倉ルートや久渡寺山など、津軽の霊場でも見掛けますが、岩木山の観音像は、銘によると1966年に設置されたものです。山の神聖さを木々や岩など、山の全てから感じ取ることを望む私にとって、既にある岩に彫ったわけでもない石仏は、どうしても登山中の感覚や思考を鈍らせるもののように思えてしまいます。ひとり登る身の心細さを和らげてくれますし、今年掛けられたばかりの真新しい前掛けは微笑ましいものですが、山中に人の手による具象的な造型があることに少し戸惑いました。

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不二洞

対して揺れ動く灯りに浮かび上がる複雑な起伏を神仏に見立てる不二洞は、いわばなんでもないところに神聖な存在を見出そうとします。見る者毎に異なる像を映し出すこの方法は瞑想的ともいえますが、私は個々人の原始的感覚を試し、鍛えるような面白みをを感じます。

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洞窟観音

洞窟観音はそうして人間と霊的存在が遭遇する空間を、宗教的な情熱と執念に基づいて、無から人の手によって具現化したものといえます。現代の人間が遭遇するものをほうぼうで受けた印象や、そこから湧いた思考から描きたいと願う私にとって、非常に興味深い空間です。

洞窟やはこのように生活の場とは異なる空間であり、そこに分け入った人間がこの世ならざる存在にまみえる場です。また巨岩は滅多なことでは形を変えない存在として、人間の記憶に記号のように焼き付きます。

洞窟や岩は面白いものですが、まだ描き始めたばかりで充分な思考がなされていません。今後更なる描画と観察、学習によって、より解釈を深めていく必要があります。