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小下図から分かるように、当初私は霊魂のひとつひとつを動物の姿で大量に描くことで、エフェクトのようにほとばしったり、流れを作る集合体として描いていました。エフェクトとは水や煙や電撃など、映像やアニメーションのなかで視覚演出効果として用いられる、不定型な物質や現象のことです。それは生死に関わらず生命力を発揮する霊魂が常に目に見えない存在であり、私にとっては多くの場合、極めて不確かな気配としてしか感知できないからでした。

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犬は嗅覚や聴覚などの特殊能力で人間には知覚できないものをいろいろ示してくれる

しかし私が感じるこの気配は、森や山の場合、どうやら湿度と関係があるようです。例えば裏磐梯の西大巓山麓のブナの原生林は沢が多く、水が豊かです。そのため植生も高木や低木、下草、ツルまで非常に豊かで、森の空気はたっぷり水気を含んでいます。このため自分よりも大きなものに四方八方を囲まれているという感覚のみならず、風通しの良いところでは感じないような密度を感じるようです。ここで突然生ぬるい空気の帯に突っ込んだり、山鳥が飛び出して、その姿を目で追う間もなく谷の方へと消えていくと、既に普段とは異なる気配に包まれている全身の感覚が一挙に覚醒して、まだ視覚では捉えられていないなにものかを検知しようとします。これが幾度嗅ぎ直しても獣のにおいであるときはどうにも生々しさが付随して、事が事であるだけに意識の上でも下でも食われまいと必死になります。

このような経験が根底にあるために、私にとって生命にとって欠かせない水の印象は、常に沢筋の多い多湿な山林とともにあります。

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〈胞衣清水〉は、私が抱いている水と生命の印象に基づいて、多湿な森の中の泉から生命が湧き上がり、再びそこへ還ってくるさまを描いています。即ち生死の境を跨ぎながらこの地球を循環する霊魂を描いた絵です。

この絵を描く契機となったのは、東日本大震災の直前まで幾度か耳目にしていた一連の報道でした。 曰く、北海道をはじめ日本各地の森林が、林業不振や土地所有者の高齢化によって、破格の安値で外国資本に売却されているといいます。その背景には森林が保有する成熟した木材や排出権取引で着目される二酸化炭素を吸収する能力、そして地下水があると考えられるとのことでした(クローズアップ現代 #2932、2010年9月7日放送)。そして日本は土地の所有権が極端に強いため、森林の乱伐や水源の枯渇を食い止める有効な手段がないのだといいます。

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百貫清水

観光地化された手つかずのブナ原生林と林業が営まれている山林は様子が大きく異なりますが、水と深い関わりがあることには変わりありません。ここから私は、何度も訪ねており、大小様々な樹木が大きくうねる西大巓山麓のブナ原生林と、その付近から湧き出している百貫清水を取材地として、生命と、生命が頼る水を擁した森林を描くことにしました。

しかし水は生命を育むだけの存在ではありません。そのことを突きつけたのは東日本大震災です。余震のなかテレビ中継で見たどす黒い大津波は、防潮堤を乗り越えて陸地へ上がると、淡々と町や平地の耕作地を進んでいきました。その中には津波から逃げる人や車が映っていたそうですが、私はそれには気付かず、人間の技術が進んだ現代のことだ、皆すっかり避難したあとだろう、これは復興が大変だ…などと考えていました。しかしその後被害の甚大さが明らかになっていくにつれ、大津波は多くの生活を破壊しただけでなく、大勢の生命を奪ったことが明らかになっていきました。

このとき、〈胞衣清水〉は大下図(絵画の実寸大下図)まで進んでおり、震災後も刻々と変わる状況をニュースで聴きながら作画を進めていました。しかしあまりに地震と津波、そしてこれらによって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故による犠牲が人間のみならず家畜や植物に多く、途中で構図を改めないことには完成させられないと思い至り、途中でやめてしまいました。初めの大下図では、泉から水しぶきを上げて飛び出した霊魂が、画面奧の光の中―この世、或いはあの世―へと去っていく構図だったからです。生まれたものがどこかへ行ってしまう構図では、とても耐えられませんでした。何か圧倒的な生命力を示す存在が必要だと感じていました。

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私は子供の頃から自分に尻尾がないことを残念に思っていました。殆どの脊椎動物には尻尾があるのに、人間にはありません。しかし人間も胎児の一時期には尻尾があります。そしてその姿は人間を含む哺乳類に限らず、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、即ち脊椎動物全てが一時見せる姿でもあります。勾玉、特に子持ち勾玉は胎児によく似ていますが、実際に胎児を象ったものとする説もあるそうです。もしそうだとしたら、古代の人々は胎児のこの形に霊力を感じ、呪符や呪具として用いたことになります。結局実際のところはよく分かりませんが、胎児が死と生の境目にあって、その形が様々な動物の肉体となる能力を持った原型であることには変わりありません。

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胎盤。Wikipediaより

哺乳類の場合、羊水の中を泳ぎながら育つ胎児と母体を繋いでいるのは胎盤と臍の緒です。出産の際、これらの器官は子供の後に娩出され、胞衣(えな)や後産と呼ばれます。病院での出産が一般化したこんにち、胞衣は産業廃棄物として処分されますが、かつては子供をあの世からこの世へ運ぶ強い霊力を持ったものとして、特別に扱われていました。そのうち多くみられた習慣として、胞衣を家の敷居の真下、或いは内側や外側に埋める事例があったといいます。胞衣を敷居の内側や外側に埋めて人がそこを通る度に踏むようにしたのは、そうすることで子供がよい子に育つと信じられていたからです。しかし胞衣を子供の分身と捉え、踏んづけて子供の素生を矯めようというのは、あの世からやってきたばかりの子供の力を強く恐れている姿勢が如実に表れているように思え、大変興味をそそります。一方で敷居の下に埋めるのは、胞衣を決して踏むまいとして、その霊力に子供や家族を守ってもらおうという心が窺えます。なんとこの胞衣にまつわる習慣は、縄文時代には既にあったといいます。それほど生物の発生や出産は、原始の昔から神秘的で、力ある現象と捉えられていたことが窺えます。

東日本大震災は、こうして生まれる生命と水が切っても切り離せない存在であることを、地震、津波、そして福島第一原子力発電所事故によって放出された放射性物質による汚染によって示しました。

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朝日新聞3月12日夕刊8面より

震災発生の翌日の夕刊に、地震や津波でインフラが破壊され、水で多くの生命が奪われたにも関わらず、水を求めて給水車に並ぶ人々の写真が掲載されています。撮影地の宮城県大衡村には幸い津波が来ませんでしたが、この写真は一方で生命を奪い、生活を破壊しながら、一方でやはり生存に不可欠である水の極端な両義性を強く意識させました。

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山田湾

震災の二年半後に自転車と電車で東北地方を一周しました。八戸から仙台まで南下してくる途中、田老や山田、陸前高田など、三陸海岸の人々から色々なお話を伺ったり、偶然水揚げされたばかりのサンマを分けてもらうところに立ち会ったりしました。なかには、まさか自分の代に来るとは思っていなかったが、両親や祖父母から過去に被害をもたらし、今後また来るであろう津波について聞かされていたという方も二人ほどいらっしゃいました。子供の頃から海に臨み、季節ごとに海で取れるものを頂いてきた人々にとって、水だけでなく海もまた、古くから恵みと危害の両方をもたらす両義的な存在だったのではないかと思います。

現在も続いている放射能汚染は、長時間、広範囲にわたる拡大と遷移によって、土壌や草木や動物など生命の循環を示してきました。それはやはり汚染によって示された、水や大気の循環と深く関わるものです。震災の年の夏に訪ねたブナの森の空間線量は千葉県の自宅の室内よりも遥かに低かったものの、窪みや谷筋には線量の高いところがありました。四月の終わりに訪ねたときにまだ残っていた雪が溶けると同時に、雪の上に積もっていた放射性物質が低地へと染み込んでいったのかもしれません。〈胞衣清水〉を制作している間も、汚染の状況は刻々と変化していきました。積み上げられた汚染土の袋を突き破る草や、押し倒す台風の大水、変わらず阿武隈高地から原発地下へと流れ込む地下水は、太古から淡々と営まれてきた循環の力の強さを感じさせます。そしてこの当たり前の力を受容できない汚染と、汚染による生活の崩壊、生業の強奪、分断、関連死は、都市部の暮らしと、それに頼ってきた私自身の生活がもたらした結果でもあります。そこから生じる怒りや罪悪感は、現状を乗り越えるための基盤して冷静な観察のもと、忘れず、大切にしなければなりません。

原子力発電所の事故は、極めて間接的とはいえ、私の先生と先輩の関連事故死をも招きました。はじめのうちは夢のなかに死者が生きているときと変わらない姿で現れ、アトリエのソファに腰掛けて自分の死について語っていました。しかし時間が経つと、ぼんやりとひとりでに、二人がどこでどのように何を見、どこへ向かうのか、考えるようになりました。関東平野の新興住宅地に生まれ育った私には、人は死後霊となって山に登るとか、海の彼方に向かうなどといった信仰はありません。それは先生や先輩も同様だったと思います。霊があの世に溜まっていくのも不自然です。

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イオマンテ

前述のように胞衣は、あの世から子供を運んでくる霊力あるものとして、特別な方法で埋められたといいます。しかし幼くして亡くなった子供もまた、大人とは異なり、胞衣と同じように埋葬されたそうです。それは子供があの世から再び体を得てこの世へやってくるよう、再生を願うためだったといいます。この感覚はどこかアイヌのホプニレやイオマンテなどの熊送りの儀礼や、日本の杣人が樹木の再生儀礼として行ったと考えられるタマシイウツシに似ています。これらはいずれも、殺されることで人間の生活の糧となる肉体を与える獣の代表であるクマや、切り倒されることで材木となる幹を与えた樹木の霊魂に感謝し、再び人間のもとを訪れるよう願ってあの世へ送り出す行為です。つまり原始的な感覚において、死は肉体から分離した霊があの世へ帰ること、生はその霊が再び肉体を得てこの世へやってきた瞬間であり、霊は生と死の間を循環する存在です。

結局私にとって霊は、個体、液体、気体と形を変えながら地球を巡る水のように、姿を変えながら生と死の境を循環するものであり、その循環経路は生命にとって必要不可欠である水が存在するところなのだという考えに落ち着きました。しかしだからどうということはありません。

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ただそれ以降、私は生命力の姿である霊を、ひとつひとつの動物としてだけではなく、様々な形で書くようになりました。〈石橋〉では、動物から次第に形を崩して液体のほとばしりのように変化していく霊を描いています。〈死者の書(竹生島)〉には大津皇子の亡霊を包み込んで成仏させようとしている霊的存在を、雲として描いています。今後は更に形を不確かなものにして、いずれ〈松林図〉や朦朧体の作品にみられるような湿度を含んだ大気のように、霊を描いていきたいと考えています。