画師日鑑

お絵かきを生活の糧としている人の思考拠点。

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年末に家族でガラケーからスマホに乗り換えました。

携帯屋の宣伝ほど信用ならないものはないので電話で問い合わせたら、解説に40分。その一週間ほど後に向かった店頭での手続きには7時間掛かりました。インドネシアじゃSIM買うのに五分か十分掛かるだけだったのに。なぜ。

これまで外出時はガラケーとiPod Touchに、地図帳と方位磁針を併用していました。

公共Wi-Fiが増えてきた今、私のような装備の人間にとって、外出時のインターネット環境は以前よりも快適になってきています。

ただ、Wi-Fiのないところで乗換案内や閉店時刻などを検索したくなることも少なくなく、数年前にガラケーからウェブサイトや乗換案内を閲覧できなくなってからは、ことさら不便さを感じるようになりました。殆どの連絡はiPod TouchとPCでやりとりするのが普通になったうえに、ここ数年は携帯電話会社のメールアドレスにメールを送ってくる人もなく、受信トレイに溜まるものといえば、もっぱら警察からの連絡と、芸能人からの迷惑メールばかりになっていました。

これまでこのXminiやtalbyといったヘソの曲がった端末ばかり使ってきましたが、スマホはどれもパッと見が同じで面白くありません。ただ今回携帯屋に「0円の一括払い(?????)」であてがわれたAquosは、ときおり勝手に話しかけてきます。しばしばうるさく感じますが、ガラパゴススマホ感が面白いのでそのまま喋らせています。

インドネシアでLINEを使う人は殆どいない。皆FacebookによるWhatsAppというアプリを使う。そのため私のWAのチャット履歴は野生のインドネシア語の進化記録みたいなもの同然で、なおかつ友達から教えてもらったことも山ほど含まれているので、失うわけにはいかない。それでガチガチに緊張してデータ移行に取り組んだら、案ずるより産むが易しだった。ただガラケーからスマホに乗り換えるため年末のauに7時間も幽閉され、くたくたになったあとにやってはいけない。一度ヘンなことになったが、くたびれ果てていたため何故そうなったのか思い出せない。auこわい。

以下本題。日本語で書いている人が見当たらない手順だが、相当いい加減に書いているのでイメトレ程度に。
しっかりと公式(https://faq.whatsapp.com/en/android/28000018/?category=5245246)を読んでください。
事故があっても責任はとれません。

なお過剰に慎重なので無駄な手順が多い。
そして移行元端末と移行先端末のOSは同じでなければならない。 これはアンドロイド向けの手順です。

〈電話番号の変更〉
1. 移行元端末上でWAを開き、画面右上のオプションから手順に従って電話番号を変更する(SMSで認証番号を得るためにアクティブでなければならないのは新しい電話番号なので、海外の電話番号のまま帰国しても問題ない)。項目にチェックすることで自分の番号が変わったことを相手に知らせることができる。相手にどのような通知が行くのかは不明。

〈チャットデータのバックアップ〉
2. 同じく画面右上のオプションからGoogle Driveにチャットのバックアップをとる。
3. 適当なファイルマネージャーアプリを開き、internal strageに「msgstore.db.crypt12」というファイルが作成されているかを確認。どうやらそれがGoogle Driveに上げられているらしい。Google Driveにファイル分の容量があることを確認すること。
4. 移行元端末からWAをアンインストール後ダウンロードし、SMSで認証後、手順に従う。データが復元されていることを確認。

〈移行先端末への移行〉
5.移行先端末上にWAをダウンロードする。
6.SMSで認証しようとすると7時間寝てろと言われる。手順に従うと、4. と同じ要領でデータが復元される。おわり。

 インドネシアは観光ビザで最長60日まで滞在することができます。ただしそのためには、インドネシア入国時のVoA (Visa on Arrival) 取得と、入国から31日目以降の滞在を許可してもらうビザ延長申請の、あわせて二種の手続きを行う必要があります。なんとなく面倒に思われますが、実際にやってみると大したことはありません。ここでは60日間の滞在期間全体の流れを示しつつ、特に後者の手続きをジョグジャカルタの入国管理局(Kantor Imigrasi Kelas1 Yogyakarta)で行う場合について、重点的に説明します。


0.日本出国前
・用意するもの
 脅されてもビビらない心
 35米ドルまたはそれ相当のインドネシアルピア(1の②にて説明)

 某LCCのエアア○ジア社に限ったことなのかもしれませんが、インドネシア到着日を一日目として、30日以内に同国を出国するチケットを持っていないと、チェックイン時スタッフに渋い顔をされます。「最悪インドネシアに到着しても入国が許されず、自己負担で強制送還されるうえに、パスポートに望ましくない烙印を押される可能性がある」「ここで30日以内にインドネシアから出国するチケットをとったほうがいいです」などと言われるのでとても不安になりますが、「空港到着後にVoAを取り、その後延長する」と主張すれば問題ありません。あとは出国後機内で好きなことするのみ。


1.VoA取得@インドネシア各地の国際空港
・用意するもの
 35米ドル、またはそれ相当のインドネシアルピア

・絶対もらうもの
 VoAの紫のシールが貼られ、正確な日付のスタンプが押されたパスポート
 紫の領収証
 
①VoAはインドネシア入国時に取得する
 インドネシアに観光ビザで60日滞在するには、インドネシア入国時にVOA (Visa on Arrival) を取得する必要があります。例えばジョグジャカルタへマレーシアのクアラルンプール経由で向かう場合はジョグジャカルタでのVoA取得となりますが、ジャカルタで経由で向かう場合は、スカルノハッタ空港にて取得しなければなりません。

②VoAの購入通貨の準備について
 VoAの購入窓口は、入国審査の手前にあります
 VoAは日本円でも購入することができますが、スカルノハッタ空港のVoA支払窓口のおばちゃん曰く、レートの都合米ドルよりも千円以上高い手数料になってしまうため、米ドルかルピアで支払うのが最も合理的です。窓口の近くにATMがあり、ルピアを引き出すことができます。しかしインドネシアの常でATMがお札を切らしており、にっちもさっちもいかなくなる可能性が十二分にあるので、渡航前に35米ドルかルピアを用意しておくのが最も無難であるように思います(私は運良くそこに居合わせた日本人のおじさんに両替してもらえた)。

③入国審査でのVoA取得と、その際の注意事項
 VoA支払窓口でお金を支払うと、二枚綴りの紫の領収証が渡されます。これを入国審査(イミグレーション)の際に審査官に渡すと、「絶対にビザの延長を忘れないでね」と念をおしながら、パスポートに紫のシールスタンプを押印し、VoAを発行してくれます。この際すぐにこの日の日付がきちんと押されているか確認し、返却された渡航者用の領収証をとっておくことをお忘れなく(入国審査時、たまに良くない審査官がいて、いろいろやらかすようです。大使館のウェブサイトを確認のこと)。

 これにてVoAの取得は完了。1ヶ月、もといビザ延長手続き期間の一週間を除いた三週間は安泰です。三週間もなにすんの。

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▲VoAの領収証。支払直後は二枚綴りになっており、うち一枚を入国審査でVoAと引き替える。

(画像ちょっと待ってね)
▲入国審査にて発行されたVoA


2.ビザの延長@ジョグジャカルタ入国管理局の場合
・用意するもの
 355kルピア + 滞在地から入国管理局を三往復できる交通費
 パスポート
 VoAの領収証(紫色)
 インドネシア入国日を一日目として、60日以内に同国から出国する航空券、またはそのアイテナリー(Itinerary)

・管理局へ赴く前に用意しても、管理局で用意しても、どちらでもいいもの
 パスポートの顔写真のページとVoAが添付されたページのコピー
 VoAの領収証のコピー
 航空券、またはアイテナリーのコピー

 ビザを延長し、さらに30日間インドネシアに滞在するためには、最初の30日が終わる一週間ほどまえに入国管理局へ計三回出向き、手続きをする必要があります。ジョグジャカルタの場合は、アジスチプト国際空港の隣に位置する Kantor Imigrasi Kelas1 Yogyakarta (イミグラシ)にて手続きを行います。4営業日ほどで交付されますが、大使館のサイトにあるように、最低でも期限の一週間前に管理局へ出向くのが吉。食堂のごはんがおいしいので、それを楽しみに頑張ろう。

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▲ジョグジャの入国管理局

・行き方 
 アプリで呼べるオジェッ(Ojek、バイクタクシー)、Go-Jekが便利。プラウィロタマンからは行き23kルピア、帰り20kルピアくらいです。目的地はKantor Imigurasi Kelas1 Yogyakarta。

・ドレスコード
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 注意されている人を見たことがありませんが、入口にはこのような掲示があり、ドレスコードがうるさいです。おかげで局内は外国人も含めてバティックシャツの人だらけ。
 ところでこの掲示から、サロン(腰布)の位置づけがバティックシャツやアラブ服よりも相当下位であることが窺えますが、どう考えてもサロンのほうが歴史は長いし、土地に根付いてるでしょ。解せぬ。
 なお写真撮影禁止なので、本記事での説明ももっぱら文章によります。
 
①一日目:申請

所要時間:スムーズにいった場合、40分程度

・開門後はコピー屋さんへ
 8時の開門前に、門前に並び…もとい、列ができない土地柄なので、立ちます。
 パスポートや航空券などのコピーがない場合、開門と同時に二階のイミグラシ本体ではなく、一階の駐輪場の一角、入って左手にある、コピー屋さんに直行し、必要なコピーをお願いします。パスポートや領収証だけなら1kルピア、アイテナリーもお願いする場合は2kルピアくらいです。今回は半年間の日本在住経験があるジョニーさんが、日本語で対応してくれた。

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▲9.30事件の日の翌日に行ったら朝礼をしていた

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▲開門したら、階段へ向かわず、左のバイクが向かっている駐輪場へ行きます。

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▲一階の駐輪場の左手にあるコピー屋さん。店の前には池。


・二階のイミグラシ受付で書類入りファイルと番号札をもらう
 作ってもらったコピーを持って、二階のイミグラシ本体へ。入ってすぐの受付でビザの延長に来た旨を伝えて、番号札と書類の入ったピンクのファイルをもらい、受付の左側、外国人用の窓口近くの待合へ向かいます。やはり並ぶ習慣がないので、ただ立っていると地元の人が『蜘蛛の糸』よろしく横から後ろから係員に迫ってくる。

・書類記入をしつつ、呼ばれるのを待つ
 ファイルのおもてと書類に必要事項を記入しつつ、呼ばれるのを待ちます。
 006番とか007番くらいだと、ちょうど書き終わったあたりで呼ばれて良いあんばい。
 Occupation in abroad には Holiday と記入します。

・点呼一回目、書類、諸コピー、パスポート、番号札提出
 番号が呼ばれたら、窓口のおばちゃんに言われたものを提出し、指示通りふたたび待合へ。
 以降は名前によって点呼されます。点呼の回数はスムーズに行った場合なので、ご参考までに。

・点呼二回目、延長料の支払
 延長料の支払用紙が手渡されます。これを持って管理局敷地内の一角に停まっているワゴン車へ行き、355kルピアを支払います。支払後、支払時に渡された領収証を二階の点呼のあった窓口の係員に提出します。

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▲Kantor Posの車。まだ来ていないこともある。


・延長料支払完了
 この時点、あるいは三回目の点呼で、支払時にワゴン車で渡された領収証が受理されます。二回目の点呼で渡された支払用紙にスタンプが押印されており、今後イミグラシで手続きを行う日時が記入されています。窓口の係員より、以降このように来るよう告げられます。

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一日目の手続きはこれでおわりです。
一階のコピー屋さんのうしろのワルンで朝ごはんにするとちょうどいい時間。
ちなみにパスポートは延長手続き最終日まで返却されません

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▲Nasi Pecer


②二日目:写真撮影

所要時間:結構かかる

 指定された時間よりも少しはやく来て、イミグラシへ来る日程が記入された支払用紙を、外国人用窓口に置いてある「To photo and pick up passport」と書かれた小さな箱に入れます。入れないと永久に呼ばれません。誰か言ってよ。
 名前が点呼されると、窓口右手のオフィス内にて写真撮影と指紋採取が行われます。
 二日目はこれで終了です。お昼にしましょう。
 
 順番によっては二時間くらい待たなければなりませんが、私にとっては頭の整理にちょうどいい時間です。ただ、気がつくと待合室内にずっと流れているインドネシア国歌(Indonesia Raya)が頭に染みついて、脳内無限ループが止まらなくなって困りました。350年に及ぶオランダ植民地からの脱却の気運が高まった日本占領時代から歌われている歌だそうです。
 何らかの理由で呼ばれないときは、勝手にオフィスのドアを開けて、「写真撮影に来たのに呼ばれないんですが」と言うと撮ってくれます。箱に紙を入れると呼ばれるようになっていることを知らなかったとか。あのときは三時間くらい座ってた。とほほ。

③三日目:延長ビザが交付されたパスポートの受け取り

所要時間:10分程度

 二日目と同じ箱に、ふたたびイミグラシ出向日程が書かれた支払証明書を入れて待ちます。そうこうするうちに点呼が始まり、延長ビザの交付が完了したパスポートが返却されます。示されたノートに名前とパスポート番号、サインを記入して手続き完了です。おめでとう! 念のため日付をチェックしておいたほうがいいかもしれません。
 これでVoAが切れた後も、あと30日は安泰ですね。1ヶ月インドネシアでなにすんの。

 9月8日より、インドネシアはジャワの古都、ジョグジャカルタのルマ・キジャン・ミヅマに滞在させていただいています(Rumah Kijang Mizuma =「ミヅマの鹿の家」、キジャン(鹿)=Kijangは「インドネシアと日本のコラボレーション」を略した当て字)。

 ジョグジャ滞在は今回で二度目です。前回は今年(2018年)の四月から六月中頃にかけて二ヶ月半滞在しましたが、何も知らない土地の話を聞いたり、旅して回ったりするのに手一杯で、結局10メートルのロール紙に思いつくがままドローイングをして終わってしまいました。日本の神話や伝承、慣習の根源がこの土地に今なお鮮やかに息づいていることを知り、もっと深く掘り下げた絵を描きたいと考えたためです。

 ジョグジャカルタは共和国となったインドネシアのなかで唯一王室制度が残された特別州ですが、学生街のほか、アーティストや音楽家が多く集う街としても知られています。前回はアトリエに留まることなく四六時中動き回っていましたが、今回はこの芸術家の街にじっとりと腰を据えて制作し、合間合間に取材を挟んでいきたいと考えています。滞在期間の終わりにあたる来年一月にはシンガポールのミヅマギャラリーにてルマ・キジャン・ミヅマを主題にしたグループ展が予定されていますので、同世代の出展作家であるギラン氏と「何点出す?もうやってる?」などと話をしつつ、大変精が出ます。ああ作家の街っていいなぁ。

 到着翌日、前回置いていった作品の続きを始めました。日本にいる間もインターネットでジョグジャカルタのラジオを聴いていましたが、それに加えて方々のモスクから響いてくるアザーンや物売りの音、ニワトリの鳴き声など、この街にいなければ耳にすることのできない音に囲まれた瞬間、ジョグジャに戻ってきたことをしみじみと実感しました。

さてさて。

ジョグジャカルタは、町のどこにいても、ラジオを聞いていてもアザーン(Adhan、礼拝を促す呼び掛け)が流れてくる、ムスリムの街だ。ここ10年ほどの間にファッションとして浸透したものとは聞くが、町ゆく女性たちの多くは、さまざまな色やデザインのヒジャブを被っている。男性も、チェック柄のサルン(Sarung、袋状に縫った腰布)を巻き、黒い帽子を被ってモスクへ向かう姿をよく見掛ける。実際私が滞在しているRumah Kijang Mizumaの管理人クリイプ氏も、昔ワルだった分いま大変敬虔なムスリムで、毎週金曜日にはこのおきまりの装束をぴしっと決めて、じゃあね、とモスクへ歩いていく。

しかしそのジョグジャカルタも、かつては仏教やヒンドゥー教を信奉する王朝が栄えた土地だった。それを示すように、ジョグジャカルタ周辺には、数多くの寺院遺跡が遺されている。

これらの遺跡は、もはや寺院としての機能を有してはいないが、先人の遺産として人々からとても大切にされている。ヒジャブ姿の女性たちが異教の遺跡を楽しそうに見て回ったり、観光客に解説しながら歩いている様子は、「多様性のなかの統一」なるインドネシアの国是を目の当たりにしているようで、大好きだ。

その遺跡群のひとつ、世界最大級の仏教寺院遺跡として知られるチャンディ・ボロブドゥールでは、毎年5月の満月の日に、世界中の仏教徒が集い祈るワイサックという祭りが開かれる。今日ボロブドゥールが寺院として使われていないこと、インドネシア国民の0.72%が仏教徒(外務省、2013年)という数字からも窺えるように、ボロブドゥールのワイサックは伝統的な祭りではなく、割と最近始められたイベントであるらしい。深夜にはランタンを飛ばすというが、おそらくインドネシアで古くから行われてきた慣習ではないだろう。観光客向けだったらどうしたものか…とも思ったが、ちょうどワイサックに行ける日程でジョグジャカルタに滞在しているのだから、行かないほうがもったいない。

ということでワイサック当日の5月29日の朝、Go-Jekでジョグジャカルタ市街からボロブドゥールに向かった。

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